おぜっきー哲学のひとつに、
「愛や神を語るなら、ウンコとともに語るべし」
というものがある。
「愛」とか「光」とか「神様」とか「高次元」を語ると、どうしても抽象的になってしまう。
いや抽象的っていうか「ウサンクサイ」だよね、正直。
苦しんでる人を救うのは、愛よりもお金。
まずはね。
その上でお金に「愛」が乗っていたら最高だ。
でも、ごはん食べるのも、住む場所を確保するのも、サービスを受けるのも、まずはお金でしょ。
もちろん、将来的には「お金のいらない世界」になっていくかもしれないよ?
けれども、今日、いま、この瞬間には「お金」っていうものが要るんだよ。
お金を使って「食う」。
そして住処にて「ヤる」「寝る」
それから「ウンコする」
この具体的生活の基本を外して、愛や光などただの戯言でしかない。
「具体的生活」を大切にしない人に「神様」もクソもないのだ。
愛や光を司るのが「カミ様」ならば、ウンコやお金やセックスを司るのが「シモ様」だ。
ぼくは「シモ様」が大好きで。「シモ様」にかなり愛されているようだ。
シモ様↓
まるだしwwwwwwwww
シモ様が大好きなのは、金と女と物質的ぜいたく。
そして、基本的には品位がないwwwww
下品。
笑いのレベルは幼稚園児なみ。
そして「高次元」な存在に対し、1.3次元くらいの「低次元」だ。
「12次元?なにそれ美味しいの?うんこプー。ゲラゲラゲラゲラwwwww」
んで、超気さく。
バカにしても怒らない。
誰とでも友達になれる。
よく「カミ様」に怒られてる。
だけどヘコまない。懲りない。
そんな素敵な「シモ様」と会話することを、ぼくらは恥ずかしく思ったりする。
「シモ様は下品だからイヤ」
「シモ様なんてダサい。カッコ悪い」
「シモ様は恥ずかしい」
しかし、そうやって「シモ様」を遠ざけている人ほど、「具体的生活」は困っていたりする。
なぜなら「シモ様」は「具体的生活」を司っているからだ。
「食う・寝る・うんこ」をバカにして、愛や神だけを語るとバランスが崩れてしまう。
上部チャクラや上丹田ばかりが開いてしまう。
そういう人は、だいたいアタマを触ってみると、バカみたいに固い。
そして、性やお金の問題を抱えていたりする。
そこから抜け出すには「シモ様」と仲良くするしかない。
あなたのなかに宿る「シモ様」に、これまでのことを謝罪し、ゆるしてもらうのだ。
さいわい「シモ様」は、やさしい。
ちゃんと謝れば、「いいよ。うんこプリ♪」と気さくにゆるしてくれるだろう。
「シモ様」は「根に持つ」ということを知らない。
むしろ「ぼくの男根、持つ?」とセクハラしてくるだろう。
しかし、それをセクハラと捉えてはいけない。
それは「シモ様ギャグ」なのだ。
セクシャル・ハラハラドキドキ・タイムなのだ。
そこで上品ぶって、いい子ちゃんぶって、カマトトぶると、また「シモ様」に嫌われてしまう。
あなたはもっともっと下品なのだ。
ほんとうは、もっと下品にみだらに、ふるまいたいのだ。
性を謳歌して、物質的ぜいたくも愉しみたいのだ。
なのに、それを制限している。
それは、あなたのなかの「シモ様」をいないことにしているのが原因なのだ。
もしも「シモ様」と仲良くして「具体的生活」をもっと質・量ともに豊かにしたいのなら、今日からでも「エロ」に取り組むことだ。
「スケベ」と「エロ」の違いはなんなのかを考えるんだ。
「花が咲くこと」のエロスを感じていくことだ。
「いのち」が生まれる瞬間の感動をゾクゾク感じていくことだ。
今日から「ウンチン・マン太郎」になるのだ。
「ゲーリー・もれ子」になるのだ。
うさんくさい、甘い言葉にだまされるな。
人は甘い言葉で救われたりしない。
「けがれ」に向き合うことでしか、人の本質は開花してこないんだ。
さぁ「シモ様」を解放せよ!!
「シモ様」に、今こそ喜びを!!
「シモ様」に、幸あれ。
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