「苦手なこと」「できないこと」って、人間ならたくさんありますよね。
料理ができない。
パソコンができない。
恋愛ができない。
片付けができない。
「続けること」ができない…
まぁ、いろいろな「できない」があると思うんですが、これね、シンドイ人、生きづらい人って、
「じぶんを責める材料」
として使っちゃうんですよね。
料理ができないからダメ。
パソコンができないからダメ。
恋愛ができないからダメ。
片付けができないからダメ。
「続けること」ができないからダメ…
え?
その「~だからダメ」のリンク、誰が決めたの?
ホントにその「事実」と「ダメっていう評価」って、つなげていいの?
自分を責めたいだけじゃね?と。
そもそも「~ができない」の定義も曖昧だしね。
俺だって「スクランブルエッグ」は作れるけど、「料理できない」って言ってるしね。
でも実際には「料理のレパートリーが少ない」だけだし、でもそれも「小学生の娘に比べれば多い」わけ。
だからそもそも、
「~ができない」
「~が苦手」
っていうのも幻想・妄想の類かもしれない。
しかしまぁ、そこは甘んじて実際に「~ができない」としましょう。
そうすると面白いことに努力家の方は、これを克服しようとするわけですよ。
その思考パタンというのは
「~ができないからダメ」
→「できるようにならなきゃ」
という感じなんですね。
それでその奥には
「~ができるようになれば褒められる・叱られない」
「~ができるようになれば愛される・嫌われない」
「~ができるようになれば、自信がつく」
というような魂胆が潜在的にあるわけです。
ほんで、これが「苦しみ3大トリオ」なわけですよ。
別名「現状否定の三羽ガラス」です。
つまり
「~ができないから叱られる、認められない」
「~ができないから愛されない・嫌われる」
「~ができないから自信がない」
という発想が前提になっているわけですね。
これ「全部ウソ」なのに、それを前提に行動してしまうわけです。
ほんで本当はね、これ大切なことなんで小さい声でお伝えしますが、
「~ができないから認められ、愛され、自信がつく」んです。
OK?
もう1回言っときますよ?
「~ができないから認められ、愛され、自信がつく」んです。
OKですね?
なんでかっていうとね、
「短所というのは、誰かの長所を伸ばすための空白だから」
です。
あなたが料理が苦手でも、得意な人はめちゃめちゃいるわけです。
あなたがパソコンができなくても、出来る人はわんさかいるわけです。
だから逆に「できるようになっちゃ困ること」もあったりするわけです。
それに「短所を克服」しようとしている時間には「長所を伸ばす」ことができなくなっちゃいますよね。
だから今、
「短所を克服しよう」とか
「〇〇という部分を直したい」とか
「〇〇ができるようにならなきゃ」
と焦っているのなら、一旦ストップしてみてください。
たぶん、それはあなたのやるべきことじゃないと思います。
それよりも
「~ができなくてダメ」
の部分を「本当にそうか?」と自問してみてください。
すると「というより、愛されたい、認められたい、自信をつけたいんだ」ということに、気づくと思います。
そしたら、あとはカンタンで
「〇〇ができない自分をゆるす」
だけなんですね。
すると不思議なことに「〇〇ができないけど愛される」むしろ「〇〇ができないから愛される」と変化し、
「じぶんを責めていた材料」が「じぶんを許し認める材料」になってくるのです。
そしたら分かってくるのです。
「できない」のではなく「必要ない」のだと。
そう、あなたには「できる必要がなかった」から、その能力がないわけです。
そうやって、じぶんを認めるために必要なのが
「〇〇ができない自分をゆるす」
なのです。
「できない自分をゆるす」には、からだをゆるめていけば大丈夫です。