さてね、今日は

「分かってくれない」という悲しみ、

についてお話ししたいと思うよ。

俺さ、こないだ気が付いたんだけど、

「分かってくれない」という恐怖を
すごい持っているんだよね。

話をしたときに「分かってくれない」感じ。

「分かったふりをされる」感じ。

けげんな顔をされる感じ。

もうね、その感じが嫌悪感をこえて恐怖なのよね。

そもそも感性がマイナーなほうだから

メジャーな人々が気になるもの・興味のあるものに

まったく反応できない。

 

たとえばオリンピック、
野球、サッカー…

3か月ごとにめぐるましく
変わるテレビドラマ。

流行りのファッション、歌…

なんにもついていけない。

何にも興味が湧かない。

代わりに興味があるのは

「この世の真理」
「武道・武術。とくに合気系」
「心理」「身体」「宇宙」
「仏教」「悟り」「催眠」「潜在意識」…

 

これさ、メルマガ読者さんからすれば

「うん、ふつーだね」

って思うかもしれないけど、

「世間一般」からしたら、かなりズレてるんだよね。

 

そのズレが、どこか悲しいんだよね。

そしてその反動で、どこか「誇らしく」もある。

優越感と劣等感が同居してるんだよ。

昨日の感覚と同じでね、

じぶんで「変人です」というのは良い。

けれども、素で「変ですね」と言われると傷つく。

とはいえ「ふつうですね」と言われるのもイヤで、
どこかユニークでありたがる。

相反するものを抱えてる。

困ったちゃんのおぜっきーです。

ふつうな人ほど、変人ぶる。

変人ほど、ふつうのフリをする。

いったい俺はどっちかなァ?

あなたは、どっちのタイプ?

俺の場合は、ふつうに生きたら悲しいのよね。

「分かってくれない」が増えすぎちゃう。

それを癒してくれているのは嫁さんなんだね。

あの人が、ぜんぶ分かってくれる。

だから、生きていかれる。

世界にたった一人でもそういう人がいれば、救われる。

それで、そこから始めて、今は

ハラ生き道の仲間がぼくを救ってくれてる。

俺が言うことを分かってくれる。

この喜びは、何者にも代えがたいよね。

 

でもね、そろそろ「分かってくれない」人たちとも
交流していく時期なのかもな、

と思っていたりする。

 

「分かってくれる人」がいるからこそ、

「分かってくれない人」という荒波へ航海できる。

やっぱり、そこに刺激があると思うんだよね。

 

「ただ、ありのまま」じゃなくて分かってもらう努力をする。

 

もちろん「わかりあう同士」で、同じ価値観で愉しむのもあり。

けれど、違う価値観をする合わせていくのも、また一興なんじゃないかな。

 

ちなみに、ハラ生き仲間は、なぜか

「般若心経」

を暗誦できる人が多い(笑)

今日もその話をしたら

「ぼくもできます」

って言われちゃったwww

 

ま、そんな感じのマイナーでシブい感性を
持った人たちが

ハラ生き道には集まっているよ♪

「感性があうかも!」

と思ったら、一度あそびにきてね(^^)/

 

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