今日はぼくの価値観(偏見)を書いておきたいと思うけれども、
ぼくは「鍛えた筋肉」というのには美しさは感じない。
よく「鍛え抜かれた美しいBODY」みたいな表現を見かけるが、どこが美しいのかと思う。
ぼくからしたら、ただの「塊」にしか見えなくてキモチワルイだけなのだ。
テレビで藤田ニコルが「鍛えていてお尻が硬いんだ」と自慢していたが、「硬いお尻」がどうして自慢なのかが不思議でしょうがない。
おしりというのは、脂肪もあるし大殿筋もあるし、やわらかいほうが美しいというのがぼくの考え方。
これは相性の問題だと思うけれども、どうにもマッチョな人は苦手だ。
自己顕示欲が強くて、がんばってて、誇らしげで。
「体型維持のために〇〇をやってます!」みたいな顔がどうしても美しく見えないのは、ぼくの心がひねくれているからだろうか。
「美容にいいことやってる美人です!」みたいな顔をされると、とたんにセクシーさが70%減になる。
ぼくが魅力を感じるのは、あくまで「ふつうさ」だ。
「ふつうさ」とは「自然体」であり、変なリキみのないこと。
そこにエロスが宿る。
どうしても「筋トレ」という作為が不自然に感じる。
筋肉というのは、自然な動きのなかで必要なところについてくるもので、誰かに見せるためのものじゃないとぼくは思うのです。
そもそも筋肉は「鎧」でも「エンジン」でもなく「センサー」である、というのがぼくの考え方。
だから強くしたり太くしたりするよりも、「感度を高める」ことが大切だと思うわけです。
筋肉というのは「強い出力」をしているうちはセンサーとしての機能が落ちる。
だから筋肉が無意味に太かったり硬かったりする人は「鈍い人」なのだとぼくは観る。
そして「鈍い人」とはどうしても話が合わない。
「鈍い人」は、ぼくのことを「弱い人」と観るのだろうが、まぁそれは仕方ない。
ハラ生き道というのは、そういう「鈍い人」ではなくて
「繊細な人」
「弱い人」
「神経過敏な人」
「やさしい人」
に向いています。
そういう人が、その人らしい方法で「強く」なっていく。
それは「雑」にしたり「鈍く」したりすることで、感性をごまかして「つよく」なるのではなく、「繊細な感性」を肯定することで強くなっていくのです。
「からだを変えていく」
といっても筋トレなどはありません。
日本に昔から伝わる方法で、「その人じしん」「本来のじぶん」に出会えるよう、「無駄なリキみ」を抜いていくのがハラ生き道のボディワークです。
もし、そういうことに興味があれば、