なんだか、ここ数日、「三日坊主」に関するご相談が多いので、ちょっとまとめてみました。
三日坊主になってしまう原因
いろいろ考えてみたのですが、そもそも人間はふつう「三日坊主」なのです。
ここでいう「ふつう」というのは、「エゴに基づいて行動すると」という意味です。
そう「エゴ」に囚われているのが「ふつう」ですから、ふつうのまま生活していれば三日坊主になるのが当然なのです。
エゴの特徴として、
・面倒くさいことは嫌い
・嫌なことはしたくない
・変化するのは嫌い
ということがあります。
これってまさに「継続」の正反対ですよね。
だからこそ、三日坊主になってしまうのです。
これを言い換えると
・目的意識がなく
・たのしくなく、気持ちよくないことで
・習慣になってない
と絶対に「継続」というのはできない仕組みになっています。
「努力」なんかでは絶対に無理なのです。
それほど人間の意志は強くない。
「毎日がんばるぞ」と思ったところで、すぐに心は折れてしまうのです。
三日坊主から抜け出す方法
ということは、三日坊主から抜け出すのには、この反対のことをやればよいのです。
・目的意識を持ってやる
・たのしく、気持ちよくやる。 愉しくて気持ちいいことをやる
・習慣にしてしまう
この3つのうち、ひとつでも達成できれば「継続」することができるでしょう。
たとえば、ぼくが長く続けているのは「文章を書くこと」22年、合気道28年です。
文章ははじめは日記で、2005年からブログ、2014年からはメルマガもはじめました。
ほぼ何かしらの文章を毎日書いています。
これは「たのしい」と「習慣」ですね。
まぁ、「集客」という目的がないわけでもないですが、その目的がなくなっても僕は文章を書き続けるでしょうから、ほぼ後者の2つです。
そもそも、書くことが楽しい。
それから「書かないとなんか気持ち悪い」。
そういうことで書き続けています。
それから合気道。
これははじめの10年は習慣でしたね。
単なる習い事。
やめる理由がなかった。
それで19歳くらいから本格的にはじめて、そこからはずっと「楽しい」。いや「楽しすぎる」。
いまは定期的には道場には通っていませんが、「わたしは合気道家である」というアイデンティティはなくなりません。
そして「上手くなりたい」という目的意識がある。
上手くなるというと語弊があるかな。
身体をもっと改造していきたいというか、からだの感覚が変わってくるのが面白いのです。
そして、合気道の鍛錬は「悟り」につながるだろうという直感があるので、それも楽しみなのです。
だから、四股を踏んでいるときなどは、そんなに楽しいもんじゃない(笑)
淡々と500回とか踏んでいる。
面白くはないけれど、継続できる。
それは、「どんどん身体を進化させたい!」という目的意識があるからです。
目的意識を見つけるために
というわけで、上記3つがポイントになるのですが、この「目的意識」というのが見つからない場合が多いんですね。
なぜ「目的」が見つからないかと言えば、それは探していないからです。
「なぜ、生まれてきたのだろう」
「なぜ、生きるのだろう」
「わたしとは、誰なんだろう」
「私の役割とは、なんだろう」
そういうことを深堀していかないと「目的意識」は見つかってきません。
「目的」が見つかり、「〇〇がやっていきたいんだ!そのために××が必要なんだ!」と思えば、自然と××を継続することができます。
この「〇〇がやっていきたいんだ!」というのがハラにおさまっているのです。
そこにアクセスできる人と出来ないままに死んでいく人がいます。
その差は「ハラの奥にあるもの」を探そうとしたかどうか、です。
「ハラの奥にあるモノ」を見ていくのは、とても怖いことです。
とても怖いし、恥ずかしいし、痛いです。
それを感じながら、じぶんの内側に進んでいけるか。そこがポイントになります。
痛みを乗り越えた人は、「今世でやるべきこと」に出会います。
そしたら、自然と三日坊主は治ってしまいます。
というのは「今世でやるべきこと」は、3日どころか30年経っても、300年経っても達成されないようなことかもしれないからです。
それだけ、「ハラ」というの視野が広い、時間的スパンが長いんですね。
長期的戦略ということです。
そして、なるべくなら「楽しく」やる。
あまり真顔でやると続きません。
そして21日間やると、習慣になると言われていますね。
3週間を超えると、あとは「習慣」になり継続も楽になってきます。
こんな感じで、このボディワークを続けていただくと、こころもからだも楽になってきますよ♪