ぼくはとっても、生きていくことに自信がなかった。
「生きていくことは、恐怖との戦いだな」
そんなふうに思っていた時期があった。
もともと、非常に繊細な少年だった。
緊張すると、すぐに「食べられなくなる」性格で、サッカー部の試合の前などは昼ごはんを何も食べられなかったのを覚えている。
給食も「残しちゃいけない」なんて言われると、逆に緊張してしまい、ぜんぜん食べ進めることができなくなってしまう。
そんな「ひ弱な」男の子だった。
高校生のころ、一度ごはんが食べられなくなったことがある。
理由はいまだに不明だが、多感な高校時代だったから、無意識のストレスがあったのだろう。
お腹は空くのだが、ごはんを前にすると食べられない。
そして「食べられない」ということがストレスであった。
「じぶんは、何かがおかしくなってしまったのかもしれない」
「これは精神科にいったほうがいいのだろうか」
「これが拒食症というやつなのか」
そんなことを思った。
母に「精神科にいったほうがいいのかな」と話すと
すごく驚いた様子で「精神科?!」と言われたので、
「あ、これは言っちゃいけないやつだ」と思い、それからは黙っていた。
しかし、身体が若かったこともあってか、自然とその症状はなくなっていった。
ぼくはなぜか「吐く」、嘔吐するということに対して、非常に抵抗がある。
「吐く」ということが怖くて仕方なかった。
だから、その前兆である「気分が悪くなる」ということさえも、非常に怖かった。
当時、
「体調というのはままならぬもの」
「いつ体調が崩れるかは分からない」
というふうに思っていたので、
「体調が悪くなること」
はとても怖いことであった。
からだの仕組みも、こころの仕組みも何も知らなかったときだ。
「鍛える」といえば筋トレしかしらなくて、心身のことが何も分かっていなかった。
からだに対する信頼もなかったし、むしろ「コントロールできないもの」として恐怖する対象であった。
そのひ弱さは、大学時代でも続いていた。
大学4年の就職活動が非常にストレスで、そのときは自律神経がおかしくなった。
学校の授業に出るのがやたらおっくうになり、家で寝ていて、どうしても起きられず、はじめて単位を落とした。
電車に乗っていて、過呼吸までじゃないせよ呼吸が苦しくなったり、気持ち悪くなったり、安定しない体調につねに不安を抱えていた。
そのときは「怖い、怖い」という気持ちが大きかった。
そして「社会人としてやっていく」ことができるだろうかと、大きな不安を抱えていた。
「一人暮らしで体調が崩れてしまったらどうしよう」
ととても怖かったことを覚えている。
しかし大学時代にはすでに合気道にのめり込み、呼吸法の研究などもしていたので、そこでストレス発散をしたり、呼吸法や「からだをゆるめる」ことを覚えたことで、徐々にからだのコントロールを身につけてきていた。
とはいえ、根本的に「生きていく自信」がついたわけではなく、
「生きることは恐怖との戦いだ」
という思いが消えることはなかった。
そして、そんな思いを抱えたまま2005年の4月から社会人となり、一人暮らしをはじめた…
すると…