ひ弱なおぜっきーの物語 その2はコチラから

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体調に関する不安を抱えたまま、2007年の秋に茨城県への異動が決まった。

 

これはこれで、神経質なぼくにとっては、またまたプレッシャーであった。

 

当時の僕からすれば関東は「異郷の地」。

 

そんなところで暮らしていけるのか。

病気や体調不良になったらどうしようかという思いはあった。

 

けれども、その反面、新しい土地で暮らしていくことのワクワクもあった。

 

そうして茨城県に引っ越してから、しばらくは順調であった。

 

新店出店だったため忙しい日々だったが、なんとか勢いで乗り切っていた。

 

しかし、また生活に慣れてきたころに、だんだんと体調が乱れ始めた。

 

基本的には、上気するような感じ。

 

それから、梅雨ごろには、うまく汗が出せずに内側に熱がこもる感じ。

 

そして酷いときには、心臓がバクバクし、フーッと気を失いそうになることがあった。

 

 

それでも意識というのは面白いもので、

 

「絶対に仕事は休まない!」

 

と決めていたので、仕事に支障をきたすことはなかった。

 

そのときに「病気を言い訳にしなければ、症状は抑えることができる」ということも学んだ。

 

ただ、全部が全部、根性で乗り切れるものでもない。

 

ときおり襲ってくる自律神経の不調に、どこか参っているところもあった。

 

そして、そのころから「希死念慮」が出てくるようになった。

 

「希死念慮」はwikipediaなどでは「自殺願望」と、ほぼ同様の扱いをされている。

 

ただ、ぼくの場合は、

「死にたい」

という感情ではなく、

「いつか自殺してしまうかもしれない」

という恐怖であった。

 

「自殺は、じぶんで選んでするのだからしなきゃいいだけじゃん」

とアタマでは思うのだが、感情は恐怖に支配されていて、

 

「自殺してしまうんじゃないか」

「自殺してしまったらどうしょう」

「自殺したくなるかもしれない」

 

という不安に襲われた。

 

今なら分かるが、このような不安はインナーマッスルが動いていないときの典型的な特徴だ。

 

横隔膜の弾力が、極端に失われている。

 

そうすると、呼吸が浅くなり、人によっては不安や恐怖が、どんどん肥大化していく。

 

それは「ハラで受け止める」ということができなくなり、エゴの思考が暴走していくからだ。

 

 

当時はそんな仕組みも分からないため、ただただ恐怖に怯えていた。

 

そんな中で、現在の妻である葉月と付き合うことになり、また千葉県への異動が決まった。

 

 

その4「二人暮らしと体調の安定」に続く