前回は、存在の「あり方」の基本としての「立ち方」をご紹介した。
今日は次の段階としての「動く」を考えてみたいと思う。
動きの基本は「うごめき」の快感である。
ぼくは、「動き」の基本は「蠢(うごめ)き」であると考える。
アメーバや、幼虫などがジワジワジワジワと動く、あの感じ。
妖しくて、気持ち悪くて、グロテスクで、どこかおっかない、あの感じ。
それこそが、人間の根源的な動きのスタートなんだと考える。
ワークショップなどでは「鬼」や「修羅」の動きと表現することもある。
ドロドロとした、ヒトがヒトになる前のあり方。
しかし、この「うごき(うごめき)」は、気持ちがいい。
何か、「してはいけないこと」をしているような背徳感であったり、生まれる前の根源的な何かに戻ったようでもあり、いやそもそも理由なく、この「うごめき」は気持ちいい動きであると感じる。
そして逆に「気持ちいい」を追究していくと、知らぬ間に「うごめき」が発動してくる。
インナーマッスルの動き
この「うごめき」は「インナーマッスルのみを使った動き」だ。
アウターマッスルによって「制御」されることがないため、虫や下等動物のような動きになる。
アメーバ的とも言えるだろう。
「うごめき」の特徴は、「動きに連続性」があることである。
途切れ、断絶、滞りがない。
動きに角がない。
固まっている場所がない。
インナーマッスルのみの動きには、このような特徴がある。
そして、不思議なことに、この動きは「らせん」の軌道を描く。
マクロで見れば天体の「らせん」、ミクロで見ればDNAの「らせん」。
この世は「らせん」で出来ているが、身体も同様に「らせん」を描く。
そう、「本質的な動き」とは「らせん」なのだ。
気持ちよく、インナーマッスルを使って動いていると自然と「らせん」の動きが出てくる。
必要最低限の筋力で動く
面白いことに、「なるべく力を使わずに、使うとしても最低限の筋力のみで動いてみてください」と講座などで指示を出すと、ほとんどの方が「うごめき」の動きをすることができる。
仰向けからうつぶせになる。
うつぶせから四つん這いになる。
四つん這いから立ち上がる。
たとえば普段のなにげない動作でも、ぼくらは、ものすごい「無駄な力」を入れて行っている。
それを意識しながら「余計な力」「不要な力」を抜くように動いてみる。
必要最低限の筋力だけで動いてみる。
そういうことをしていくと、「うごめき」が出てくるのだ。
「うごめき」の本質
つまり、こういうことが言える。
うごめき=「気持ちいい動き」=滞りや角のない動き=インナーマッスルを使う動き=らせんの動き=必要最小限の筋力でうごく動き。
そして、この動き方こそが「動きの本質」なのであると。
逆に言えば、この「動きの本質」から離れれば離れるほど、肩こりや腰痛などの疾患に悩まされることになる。
肩こりや腰痛は
「うまく立てていない」ことにはじまり、動きに「無駄なリキみ」があり、不自然になっていて、ぎこちない状態になっていることを教えてくれるメッセージなのだ。
なぜ、そのような不自然な状態になってしまうかというと、その原因となるのが「思い込み」だ。
「思い」が「込み入って」しまい、固まってしまう。
「思い込み」によって「ほんらいの自分」を抑え込んでしまう。
すると、どんどん動きがぎこちなく不自然になっていく。
「うごめき」「インナーマッスルの動き」は、それらのぎこちなさを解消し、「思い込み」を外していく効能がある。
やり方に関しては、こちらで公開しているので、ぜひやってみてほしい。
礼儀作法と「うごめき」
しかし、気持ちの良い「うごめき」の動きを取り戻せたとして、それで万々歳になるだろうかといえば、けしてそうではない。
こんな動きは「日常生活」では使いづらいからだ。
じゃぁ、どうするかといえば、その解決となるのが「礼儀作法」だ。
「礼儀作法」とは、「うごめき」の勢い(エネルギー)を残しつつ、社会生活にでも使えるようにした「型」なのだ。
だからこそ、こういうエネルギーが出る。
そして「礼儀作法」は「気持ちよい」ものなのだ。
(それはつまり「礼儀作法」によって「気」が通るということでもある)
つい礼儀作法というと「堅苦しい」とか「面倒くさい」と考えがちだが、それは大きな誤解だ。
背中にぴったり竹刀をあてて姿勢を矯正したり、無駄に命令を強制したりするのは「礼儀」ではない。
ほんらいの「礼儀」とは、その人がその人らしくいられるための「才能開花メソッド」なのだ。
こんなに素晴らしいメソッドが伝わってきているのに、日本人はそれをすっかり忘れてしまっている。
なんともったいないことだろう。
からだの内側から元気になり、心にも自信がついてくる。
こんな素晴らしいメソッドを放っておく手はない。
ぼくは、今後も「和の礼儀作法」と名付けたメソッドの普及に努めたいと思う。
一度も体験したことがない方は、ぜひ一度、体感してもらいたい。
「日本古来のからだの叡智」に驚かれることだろう。
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