「身体はいつでもベストコンディション」

 

なんだか川柳のようなフレーズが降ってきたのは、こちらのブログを読んだからです。

こちら、個人セッションのクライアントさんのブログなんですが、とても面白いんです。

 

「Seitai Tomomi(整体ともみ)」のともみ先生は、クライアントさんの身体の声を読み取る達人。

 

背中に触れると、ふっと「からだの声」が聴こえてくると言います。

 

 

ともみ先生の話を聞いていて、からだがどれほど「ぼくら」のために頑張ってくれているかということを実感しました。

 

 

いやね、ぼくも整体師ですから、ある程度は「からだの声」を聴き分けるんですがね、ともみ先生の「背中リーディング」は、その深みが違うんです。

 

 

こないだのセッションでは、ぼくもかなり刺激をいただきまして、そこから、あるコンセプトが醸成していました。

 

 

それが昨日の夜になって

 

「身体はいつでもベストコンディション」

 

というところで収束したのです。

 

 

そうだ、「からだ」に不調なんてないんだ。

 

すべては最善なのです。

 

もうすこし分かりよくいうと「すべては、条件のなかで最善」なのです。

 

 

たとえば「姿勢の乱れ」なんていうのも、「乱れて」いるわけではない。

 

それは、何かを守っているのです。

 

 

たとえば腰痛や頭痛も、「なんとかしてくれ!」と身体が怒っているわけじゃない。

 

何か、それよりひどいことを起こさぬために、からだが一生懸命「調整」した結果なのです。

 

 

だからこそ、いつでも身体は(その条件の下で)ベストコンディションなのです。

 

 

ただ一体、「ベストコンディション」といっても、「なにに対して」ベストなのだろうか?

 

 

たとえば「風邪を引いてだるい」というのは、100m走を走ったり、格闘技をするには「ベスト」とは言えないだろう。

 

 

のどが痛くて、声が出ないのも、歌手にとっては「ベスト」ではないだろう。

 

 

でも、からだはいつでもベストコンディションなのだ。

 

 

ということは、つまり「ベスト」の基準を考えなきゃいけないってことになる。

 

 

そこで、おぜっきーが考えたのは

 

「気づき」

 

だった。

 

 

「気づき」というのは、言い換えれば「意識の解放」です。

 

 

ハラ生き道では、「人間の本質」を「意識」と呼んでいます。

 

 

本来、死ぬほど自由なんですが、「思い込み」によって、その活動が制限されてしまうんですね。

 

 

よくあるのは「アタマ」のなかをグルグルと回転してしまう。

 

これが「悩み」「迷い」という状態です。

 

 

この意識が不自由になることが、「最悪なこと」で、もっとも避けたいことなのですね。

 

 

それは、「才能(本質)から離れてしまう」ということでもあります。

 

 

言い換えれば「究極の幸せ」を忘れてしまうということです。

 

 

身体は、どうしてもそれを避けたい。

 

なぜなら「才能や本質」から離れてしまったら、「生きる意味がない」と、身体(ハラ)は考えるからです。

 

 

だから、そうならないために、身体は本気でなんだってする。

 

ゆがませてみたり、痛みも出してみたり、なんなら病気になってみたり、そうやって

 

「あなたの本質に還れ」

 

ということを、ものすごい愛情をもって伝えているわけです。

 

 

カラダに悪いことをしたから、症状を出して報復してやろうとか、罰を与えようというのではない。

 

 

カラダ(ハラ)というは、ぼくらに「幸せになってもらいたい」のです。

 

 

「そんなにがんばらなくていい」

 

「もっと好きなことをやっていい」

 

「才能を活かしていい」

 

「自分らしくていい」

 

 

それに「気づいてくれ」と。

 

「おまえは、もっともっともおーーーーっと素晴らしい」

 

と。

 

 

その声に耳を傾けたとき、ぼくらに「気づき」が起こります。

 

 

つまり「意識」がひとつ解放されるのです。

 

そのとき、またひとつ呼吸が深くなります。

 

 

 

身体(ハラ)の、「ぼくら」に対する、深い深い愛情。

 

 

その愛情を100分の1でも受け取ってみたら、ぼくらはずいぶんとラクになると思うのです。

 

受け取るためには、こんな感じで「からだをゆるめ」てみるといいですね♪