先日、

「猫の妙術」

という本を読みました。

 

江戸時代の武士が

中国古典の「荘子」を分かりやすく解説したもの。

 

今でいう

「マンガで分かる老荘思想」

みたいな本だそうです。

 

その内容は、

あるお侍さんの部屋に大ネズミが
忍び込みます。

 

あ、いや、ミッキーマウスじゃないです。

違います、ミニーでもないです。

 

 

で、その大ネズミを退治するために、

お侍さんは飼っている白猫に依頼するわけですが、

ネズミが強すぎて白猫ではかないません。

 

そこで、白猫は

「武技に秀でた、黒猫」

に依頼します。

 

黒猫は千変万化する「技」を使い、

ネズミがこうきたらこうする、

ということを知り尽くしていると。

 

しかし結果的には黒猫の「技」は通用しませんでした。

 

そこで黒猫は

「気合で圧倒する、虎猫」

に依頼をします。

 

 

虎猫は、「技」などは使わずに

「気」

で相手を圧倒しています。

 

それでネズミが退治できるかと思いきや、

ネズミのほうが「気」が強く、

虎猫は敗けてしまいます。

 

 

そこで呼ばれたので灰猫。

灰猫は「調和の心」をもって

ネズミに接します。

 

押さば引け、引かば押せの心で

相手とぶつからず懐柔しようとした。

 

これで一件落着かと思いきや、しかし、灰猫は首筋をガブリとやられた。

 

そこで最後の砦となったのが古猫。

おじいさんのようにヘロヘロです。

 

しかし、その古猫は、なんなくネズミをとらえ、部屋から逃します。

 

その様子に驚いた3匹の猫とお侍さんは

「極意」

を古猫に尋ねます。

 

すると古猫は言います。

 

「【道理】にしたがえ」

 

と。

 

 

「道理」「とは天地自然のことわり。

それを発動させるためには「念」を止め「感」を発動することじゃと。

 

「感」に従い動けば、天地自然の理におのずと共鳴する。

それで相手に勝てるかどうかは分からぬ。

 

けれど、天地自然に従って勝てぬ相手なら「わたし」の力を使っても勝てぬ。

 

けっきょくは「道理」に従うよりないのじゃと。

 

 

まぁ、こういうお話なんですね。

 

これが、なんとも深い…

 

合気道、礼儀作法に通じるのはもちろん、日常生活に活かせまくりです。

 

 

古猫は言います。

 

黒猫は「技」にこだわりすぎている。

「こうしたらどうする」というパタンは無限になる。

その無限のパタンを覚えることはできぬ、と。

 

虎猫は「強さ」にこだわりすぎている。

強さには限界があり、必ず自分より強いものがいると。

 

灰猫は、作為的すぎると。

「調和」もよいが「調和させよう」という心は余計だと。

「道理」にしたがう結果として、自然と調和するのだと。

 

これはまさに、人生にも当てはまるのではないでしょうか。

 

ぼくはなんと言っても、

合気道に活かせると思ったなぁ…

というわけで、ぼくの読書がなんらかの参考になったら幸いです♪

また面白い本を読んだらシェアしますね!!