姿勢は永遠に進化する。

それがぼくの持論だ。

たとえば「姿勢をリセットする」というコンセプトがあるけれども、そこには「進化」「成長」という概念が抜けている。

 

ふだんの生活で姿勢がゆがんで、それをリセットして、またゆがんで、リセットして…

 

そういう繰り返しは個人的に面白みがない。

 

それよりも、どんどん姿勢が変化していき、「まったく未知の領域」にまで入っていけたら、それ以上に楽しいことはないと思う。

 

 赤ちゃんのときの姿勢や立ち方が理想的?

 

たまに「赤ちゃんの立ち方・姿勢がベスト」と言われることがある。

 

けれども、ぼくとしては少し違うと思っていて。

 

たしかに立ち始めたばかりの1歳児の立ち方は美しい。

無駄なリキみが入っていなく、バランス筋を使って見事に立っている。

 

けれども、赤ちゃんというのは弱い。

どれだけ美しく立っているとしても、知能も理性も弱いし、人間としてベストな状態とは言えない。

 

衣食住も保護者に依存している時点で、まだ「人間としてベスト」とは言い難いだろう。

 

ある意味で、赤ちゃんが立てるのは「当たり前」だ。

 

無駄な知識も経験もなく「ただ立っている」のだから。

 

だから凄くはない。

 

ぼくは赤子や子どもを手放しに称賛する論説はあまり好きじゃない。

 

それよりも「人になっていく過程」のほうが面白いと思うのだ。

 

 「動物」から「人間」に「成る」

 

ぼくはヒトとして生まれたなら「人間」に「成っ」ていくのが、いちばん面白いと思う。

 

それは理性も知能も身につけ、いろいろな経験もし、エゴとも仲良く、かつ本能を邪魔しないあり方を身につけていくということだ。

しかし、これは難しい道なのである。

 

動物的本能だけに従って、たとえば食欲・性欲・睡眠欲のままに生きる。

これは動物のまま。

 

かといって、本能を無視し理性だけに従って生きるのは、「生きる喜び」を忘れてしまう。

 

「人間」というのは、その中間に位置する。

 

本能を充分に感じながら、本能だけに生きるのではなく、理性で「慎み」ながら、霊性を高めながら、3次元を愉しんでいく。

 

それが、ぼくの思う人間だ。

 

そんな話をすると、人によっては

「やたらストイック」

「なんだか厳しそう」

「難しそう・面倒くさそう」

などと感じることもあるだろう。

 

けれども僕としては、そんなあり方がイチバンしっくりくるし、いちばん愉しく感じるのだ。

 

 宇宙と、大自然とつながりたい

 

僕は昔から、もう10代のころから「幸せとは何か」ということをずっと考えてきた。

 

「幸せ」は、ただの「娯楽」や「ひまつぶし」や「ストレス解消」では得られない。

 

「コタツにみかん」のぬくぬくも「幸せ」の一部ではあるけれども、すべてではない。

 

「いったい幸せの本質はどこにあるのか」

 

と考えたときに

 

「生き切る」

 

という言葉が出てくる。

 

それは野口晴哉に言わせれば「全生」だろうし、禅の人に言わせれば「死に切る」なんだろう。

小林正観に言わせれば「まかせる」かもしれないし、藤平光一なら「天地を相手にして生きる」と言うかもしれない。

 

いずれにせよ「小さい自分を相手にせず、大きな自分で生きる」ということが、どうやら幸福の本質ではないかということを、ぼくは感じていた。

 

 「なくならない幸せ」の具体的実践

 

しかし「本質的な幸福」というものは語れば語るほど遠ざかってしまうという法則がある。

 

「言葉多ければ恥多し」と、ぼくは思っているが、饒舌になればなるほど真理は遠ざかる。

 

では、「本質的な幸福」を具体的に実践するにはどうすればいいかということを考えた。

 

その答えが「姿勢」だった。

 

「具体的」という言葉を観ても分かる通り「身体」というのは、「こころ」に比べて具体的で分かりやすい。

 

だから「こころを観る」のではなく「からだを観る」ことで、こころをはかっていけばよい。

 

そして、その基準になるのが「姿勢」なのだ。

 

 姿勢を進化させる~姿勢エボリューション~

 

「姿勢をよくする」というと一般的には

 

「腰を立てて、胸を張って」

 

みたいに言われがちだ。

 

しかし「本質的な、なくならない幸せ」につながる「姿勢」というのは、そんなに単調でつまらないものではない。

 

「永遠に進化する姿勢」は、毎日毎日ミリ単位で変化する、生き物なのだ。

 

呼吸、性格・人間性、心理、食・内臓、季節などと密接な関わりがあり、単なるボディワークとしては説明できない。

 

しかしあえて説明するとすれば、

 

「背骨をアンテナ化する」

 

と言えるだろう。

 

 

「背骨をアンテナ化」し、大自然の(ヨコの)、そして歴史の(タテの)「流れ」をキャッチする。

 

そして、無駄なリキみの抜けた身体は、その流れに掉さして、大きな「役割」に生きていく。

 

これが、ぼくの思う「本質的に幸せな生き方」すなわち「ハラ生き」である。

 

そのとき、ぼくらの「才能」が最大限に発揮され、愉しく、かつ自然と社会の役に立つ人材になれるだろう。

 

 そんな進化する姿勢や「ハラ生き」が気になる人は

 

まず始めてハラ生きに触れた方は、こちらの動画などを見てもらうのがベストです。

 

ある程度ハラ生きを知った方は、ぜひ「体感」されてください。

 

「体感」されて納得された方は、ぜひ広める活動にもご協力ください。

 

 

ぼくのゴールは「失われた和の身体文化の復興」です。

 

共感・共鳴いただける方がいらしたら、とても嬉しいです。