ぼくが合気道をやっているのって

「触れたい・触れられたい」

からなんだなと思うことがある。

 

結婚当初は、

「うちの奥さんは寂しがり屋だなぁ」

と思っていましたが、今にして思うのは、よっぽど僕のほうが、寂しがり屋だということです。

 

その「弱さの感覚」を長いこと封印していた。

 

それで

「一人が好き」

「触れられるのはイヤだ」

「隣に誰かがいて寝るのは無理」

だなんて思っていた。

 

しかし最近は「からだの寂しさ」をちゃんと感じる。

 

だからこそ逆に

「満たされている」

ことも分かる。

 

本当にマヒというのは怖いね。

 

その意味で

「ていねいなセックス」

というのは

「からだの感覚」

が開いていくのに重要な役割を果たす。

 

 

まぁハグでもいいんだけどね。

 

 

他人を信頼し、じぶんを開いていく。

 

この感覚を得なければ、

「生きることの気持ちよさ」

は見えてこない。

 

 

合気道というのは、その代用になる。

というのは「触れ方」が「普通」じゃない。

 

特にウチの合気道は

「つながり」

を重視しているから、さらに

「奥のほう」

でつながってしまう。

 

 

結局のところ、ぼくはその

「つながり感」

のトリコになっていると言える。

 

肩の力を抜き、軸を立て、やわらかい足腰でつながるとき

「得も言われぬ快感」

が全身を通り抜ける。

 

 

「からだの悦び」

としか言いようのない、

内側からあふれ出る快感に、

タマシイまで打ち震えてしまう。

 

 

人間ね、

「快感」

からは逃れられないね。

 

 

「快感」が分かってしまったら

どうしても、そこに寄っていく。

 

それが某ピエールさんのようにコカインにならぬよう。

 

 

「からだの内側」から

「脳内ホルモン」を出していく。

つまりは体内で

「快感物質」

を生成できるようになればいいわけです。

 

 

それが出来ないから

「環境」

に依存する。

買い物、セックス・恋愛、タバコ、酒…

 

 

嗜好には良いがバランス取れぬのは

「体内で快感物質を生成できない」

から。

 

 

「和の礼儀作法」や「ハラ生きメソッド」の根幹のあり方は

「キモチイイ」。

 

つまりは「ひとりで気持ちよくなれる技術」

なのです。

 

それをお手伝いするのが

「対人ワーク」であり「合気道」。

 

 

「からだの奥からキモチイイ」

そんな呼吸を伝えられたなら。