先日、君塚ゆかさんのセミナーに出ましてね。
そしたらマズローの話が出たわけですよ。
最近は五段階じゃなくて六段階なんだそうです。
すげーざっくり内容をかい摘むと、このピラミッドの下位4層は「欠乏欲求」と呼ばれていて、そいつを相手にしちゃいかんよ、と。
ほんで、このピラミッドの頂点の「自己超越」の観点から行動しようと。
「欠乏欲求」とは、いわゆる罪悪感や不安などのエゴのこと。
そこにとらわれずに、「じぶんの本質」の声で動けという主張は、まさにハラ生き道と一緒だなぁと。
さて、そこに少しおぜっきー的解釈を含めてみましょう。
ぼくはね、6段階欲求説を見るときに、こう見るわけです。
下位4層の欲求は、いわゆる「やるべきこと」です。
「会社員だから」
「妻だから」
「母だから」
だから、イヤだけど、苦手だけど、つまらないけど、義務で、義理で、やるしかない。
ここに囚われているうちは、本当につまらない。
なので、そこをなんとか処理して(処理方法はあとから書きます)、とりあえずは「自己実現」のステージに行きたいわけです。
ここはいわゆる「成功者」のステージと、ぼくは思っていて、
「うまくいっている」
なんて言葉がピンときやすい。
わかりやすい、見えやすい「成功のカタチ」。
「好きで稼ぐ」みたいな。
ただ、ここでの主役は「わたし」なんですね。
「わたし」が最高に輝いている。
それが「自己超越」、つまりハラのレベルになってくると、ちょっと「輝く」という表現がピンとこなくなる。
言葉でいうと「淡々」。
「うまくいく」とかそういう観念がない。
「流れに乗っていく」という感じ。
でも、うまくいかないこともある。
トラブルもある。
「好き嫌い」さえも超越して、「受け容れる」だけみたいな。
「幸せ」という言葉もピンとこない。
セミナーでは、手塚治虫や杉原千畝などが挙げられていましたが、ぼくの感覚ではタモリとか宮崎駿。
宮崎駿が「面倒くさいー、面倒くさいー」と言いながらアニメを作っている動画は有名ですが、けして
「たのしんで」「ワクワクして」「強みを活かして」
やっているような感じではない。
むしろ、はたからみたら苦行みたいな。
これも言葉にすると「やるべきこと」って感じなんですね。
「やりたいからやっている」という感じでもない。
ここでもっかい図を見てください。
そう、「自己超越」も「欠乏欲求」どっちも「やるべきこと」なんですね。
それで、意外にですが、この両者は区別がつきにくい。
「やりたいこと」をやったらいいの?
「やりたくないこと」をやるべきなの?
みたいに混乱している人が多いのは、このせいです。
だから大事なのは、
「ハラの声を聴くべし!」
「魂の声に従って行動するぞ!」
「自己超越が大事です」
というスローガンではなく、
「この衝動が、どこから沸き起こっているか」を見極める感性なんだよね。
だから本でもセミナーでもなんでもいいけど知識は怖いのよ。
「分かった気」「できてる気」になるから。
でも具体的じゃないから前に進めない。
そういう人って多いんじゃないかな。
そういう場合は、「からだの感性」を磨く必要があるのです。
「それ」かどうかを「カラダで感じる力」。
それを高めていく。
というわけで次回は、六段階欲求説とハラの関係を、もうすこし深くみていきましょう。
その前に「カラダの感性」を高めたい人には、こんな方法があります。