11月16日の夜、10年以上ぶりに古巣の合気道部に稽古にいきました。
2005年に卒業してからも、たまに遊びに行ってはいましたが、茨城に引っ越してからは全くいってませんでした。
しかし今回、なんだかピンときて久方ぶりに稽古に参加してみたのです。
稽古開始前
17:30から稽古開始とのことで17:18くらいに道場に行ったが誰もいない。
辺りは暗く、不安になってくる。
主には不審者に思われないかという不安(笑)
しかし10分ほど待つと、ぞくぞくと部員の方が集まってきた。
声をかけて稽古に参加させてもらう旨を伝えたがアウェイ感がハンパなさ過ぎて吐きそうになったww
当時、僕は他の道場にも通っていて、すこし独特な部員だったので、それが思い出されてなんだか気まずい。
当時は、とにかく合気道の上達に命を懸けていて、他のことは目に入らなかったから、ひどく場を乱していたのではないかと思う。
3年生から入ったしね。金髪だったしね。
それでいて他の道場の黒帯持ってるっていうね。
そりゃ浮くよね(笑)
当時は、そんなことにも気づかなったからね。
「合気道部で合気道の研究をして何が悪い!」とずいぶんイキっていたものです。
まぁ、20~22歳だったからね。
とにかく、そんな古巣に戻るということで、かなり緊張しました。
若者のエネルギー
36歳になってみると、そもそも「若者」と接するのに緊張するのよね。
何が怖いのかというと「馬鹿にされないかどうか。」
ウラで「ウザい」とか言われてたらどうしようと不安になる。
それは俺が20歳のころにウザい先輩がいてね。
同期の子たちと「あいつマジうぜー」とか言ってたから(笑)
「先輩」という名前だけじゃ、誰も尊敬してくれないのは知ってるわけ。
素敵な上司じゃないけど、「金だけ出して口出さない」みたいなOBが、いちばん好かれてたよね。
そうでなくても現役の学部生にとってOBってウザいんだよね。
できればいないほうが気がラク。
それが分かってるから、今日はなるべく邪魔にならぬよう、迷惑にならぬよう気を付けたんだけど、大丈夫だったかな?
ドキドキ…
ひさびさの稽古
稽古は2時間の予定。
しかし開始15分で吐きそうなくらいヘトヘト。
さすがに10年のブランクはきつい。
袴の履き方とたたみ方を忘れてたし。
しかし、身体というのは覚えているもんでね。
さすがに技は出てくるね。受け身とかも、ちょっと硬いけど大丈夫。
やはり「身につける」ということはスゴイね。小脳記憶とかいうのかな。
ちなみに、さっき帰ってきて23:53だけど、バリバリ筋肉痛。
合気道ってなんだろう
当時は夢中で稽古していた合気道。
あのときは、がんばって稽古をして身体作りをすれば、いつか「武道の達人」になれると思っていた。
しかし、いろいろやって、いろいろ考えた結果、ぼくは「武道の達人」にはなれない、というか才能がないことが分かった。
やはり「武道の達人」になるには、ケンカが強かったり、そもそも「バトル」にビビらないという性質が必要だ。
ぼくは負けず嫌いではあるんだけど、肉体的痛みに弱いから、「武道」は向かない。
ということに、あるとき気づいてしまったんだね。
ただ、それって僕だけじゃなくて、合気道の高段者にもよくある話なの。
ふだん澄ました顔で技をかけてるけど、実戦はからきしという人は多い。
そういう人に限って戦闘理論を滔々と語っていたりするから、そこがダサいところなのね。
ホント合気道ってなんだろうって思うよ。
型稽古がメインなんだけどね、なかなか「実戦」には向かない。
だから格闘技界に「合気道出身」っていないでしょ。
合気道家が総合格闘技のリングに上がるなんて聞いたことない。
それは「リングの上のタイマンでは使えない」ってことなんだよね。
あと「達人」の演武映像なんかもあるけど、あくまで「実戦風の演武」なんだよね。
だから「使える使えない理論」になってくると合気道はめっぽうツライ。
けれども今日ひさびさにやってみて、やっぱりね「面白み」はあるんだよ。
そして、型稽古のなかでもうまい下手がしっかり分かる。
で「どうせ使えない」のに、何をもって「上手い下手」を観るのかというと、それが
「ハラとハラがつながっているかどうか」
なんだよね。
上手な人は、「つながっている」
下手な人は「途切れている」
だから「合気道は、身体のつながりを愉しむ芸術」なんて言い方ができるかもしれない。
受け手の問題
合気道で技を掛けられる人を「受け」と言いますが、この「受け」が非常に難しい。
ハラ生き合気道でも、「受け」がどうあるかは、難しい問題だ。
まず「やる気のない人」に技ってかからないのね。
それから「危機意識がない人」、そして極端にビビりな人、こういう人とやると稽古にならない。
やはり「受け」は「刃物を向け合っている」くらいの危機意識があって、かつ腰を入れて攻撃してくるということが大切になってくる。
それから相手の「真ん中」をちゃんと攻めていく、という条件が必要。
これがないと「取り(技を掛ける人)」の上達を引き出せない。
多分、上記の人には「達人」でも技を掛けられないんじゃないかな。
「受けの人の性格」
逆に技がスパーンとかかる人の特徴というのがあって、
まずは「気がいい」。
うまく説明できないけど、基本が笑顔。
素直。(性格や力の出し方)
学ぶ姿勢がある。
こういう人は吹っ飛んでいくケースが多い。
逆に、
「孤独を抱えている人」
「負けず嫌いの人」
「自信のない人」
というのは技がかかりにくい傾向にある。
これはつなぐべき「ハラ」や「真ん中の部分」が極端に少ないもしくは、小さいからではないかと思う。
なんかこう、「フック」をかける場所がない感じなんだよね。
まぁ、あくまでおぜっきーの経験だけど。
あと「笑顔が出にくい人」「やたらプライド高い人」も掛けにくいねー
寂しいから分からない。分からないから寂しい。
ぼくの中では合気道は「真ん中どうしをつなぐ芸術」なんだけど、それを掛けてもらっても分からないっていうのは、さみしくて悲しいことだと思う。
なぜなら「つながる」ことは、何にもまして「キモチイイ」ことだから。
あの感覚が分からないなんてかわいそう、とさえ思ってしまう。
まぁ、それも本人の課題だろうから深入りすることじゃないけど。
あれだけつながりがないと大変だろうなぁと思う。
合気道の身体
これまで僕は合気道や整体、ダンスや茶道などの「共通点」を見極めて「ハラ生き道」としてお伝えしてきた。
しかしここにきて、やはりそれらの「違い」も大事だなと思うようになった。
たしかに共通点はある。
けれども合気道で使う筋肉と茶道で使う筋肉は明らかに違うし、ひとくくりにするのは、ちょっと雑すぎるなと感じてきた。
ぼくが今後、求めていきたいのは「じぶんの才能を最大限に発揮できる身体」。
それを養成するワークなどを作っていきたいと思う。
人を投げたり転がしたりっていうのも別に作っていくけどね!
合気道の身体のものさし
合気道の身体が極まっていくにも「項目」というか「要素」があるなと思った。
ひとつには「ハラの筋肉量」があるね。これはこれで大事。パワーにつながる。
あとは「ハラの筋肉」が「どれだけ連動するか」、これはまた別に大事。
筋量が少なくとも連動性が高ければ、ものすごい威力を発揮する。
それから感覚力ね。感性の繊細さ。感じる力。
これが高まることでも合気道の身体は進化する。
「軸」なんかは、これに属するね。
そして、最後は「場を調和する力」。
ぶっちゃけ、これだけでもかなり技が掛かるようになる。
「全体的にかからない雰囲気」になると掛からない。
だから「道場の空気」は大事。
「黒帯」つけてるだけで上手に感じるんだよね。
コマの要素
これらの要素の総合点が「合気道の身体」の評価になる。
だからパワー系の合気道もあるし、感覚系の合気道もある。
フィジカルな技量はないけど催眠的に場を取り仕切る力がある人もいる。
どれも、その人なりの合気道で、ぜんぶ正しいんだよね。
コマとコマがぶつかり合う戦いがあったとするじゃん?
そのとき「強いコマ」を作るにはどうする?
コマを大きくする?
芯を、ちゃんと真ん中に刺す?
回転力を上げる?
いろんな方法があって、どこを伸ばすかって、その人しだいだと思うんだけど。
合気道の身体も、感覚を高めてもいいし、筋力をつけてもいいし、連動性を高めてもいいし、気や催眠をマスターしてもいいと思うんだよね。
じぶんの目的にあった合気道をすればいいと思う。
という感じでとりとめもないけど、思ったこと気づいたことを書いてみたよ。
書いてみて、どれだけ合気道が好きか再確認したよ。
ぜひそんなおぜっきーの合気道教室に遊びに来てね。
ちなみにウチは「感覚系」だから「パワー系」のことはやりません。
「愉しく、からだをゆるめる」がモットーでございます。