2019年下半期から、
ハラ生き道では「インナーマッスル」だけでなく「腸」も重要項目として取り扱っていきます。
もちろんこれまでも「腸」の重要性については認識していましたが、メソッド化したり、講座などでお伝えすることはしていませんでした。
しかし「ハラ」の重要性を説く以上、どうしても「腸」についても触れていく必要があると感じました。
インナーマッスルという筋肉の観点だけでは解決できないことがあると悟ったからです。
逆に言えば、ハラ生き道は「腸」で完成するとも感じる。
インナーマッスルとしての「ハラ」。
心理状態としての「ハラ」
内臓、腸としての「ハラ」
この3つを統一的に説明できてこそ、「ハラ生き道」の面目躍如と言える。
全体像としてはこうなる。
この潜在意識というのは「魂の設計図」とも言える。
僕らを、僕らたらしめているもの。
「確信」とか「前提」とも言える。
ここについては、また詳細を書いていく必要があると思うけれども、とりあえずは「設計図」という言い方がしっくりくるかな。
この「設計図」があるからこそ、細胞が何度入れ替わっても、おぜっきーはおぜっきーなわけです。
この「設計図」そのものは見えないが、それは「姿勢」や「呼吸」「感情」「言葉」「内臓の状態」「人間関係」などになって「見える化」する。
この「潜在意識の設計図」は「空」であり、後者「姿勢」や「呼吸」などは「色」だと言える。
そして、ハラ生き道では「潜在意識の設計図」を調整すべく、「インナーマッスル(姿勢や呼吸)」「ことば」「感情」「腸の状態」などを観察していく。
この設計図は、いろいろな「ゴミ」によって、「本当の状態」が見えなくなってしまっている。
その「ゴミ」とは、基本的には「恐怖」である。
「本来の設計図」に「恐怖」というゴミついている状態だと、その「恐怖」がくっついた状態で、現実が創造される。
そうなると「思ってたんと違う」というふうに感じがち。
「じぶんの人生なんか違う気がする」
「もっと楽しめる気がする」
「縮こまっている感じがする」
「それなりの幸せしか感じられない」
これはすべて「恐怖」というゴミつきの設計図をもとに現実が創造されているからだ。
じゃぁ、ここからどうすればいいかというと、まずこの「設計図」をそうじしてキレイな本来の状態にする必要がある。
これを「クリアリング」と言う。
そしてクリアリングが進んでくると、「本来の設計図」が見えてくる。
これはまるで、「化石掘り」のような作業である。
そして、「本来の設計図」がまるまる美しく表出した状態になる。
これを「だいじょうぶ」と呼ぶ。
(「だいじょうぶ」は「ありがとう」と「愛してる」から出来ている)
つまり潜在意識を「だいじょうぶ」状態にすること、これが「本来の設計図」に戻すということになる。
すこし話が長くなったが、インナーマッスルの活性化も、腸の状態の改善も、心理状態の安定化も、すべてはこの
「潜在意識をだいじょうぶ状態にすること」
を目的として行うことが大切だ。
つまり「だいじょうぶ」と前提として行動するということ。
この前提がなければ、すべての取り組みが台無しになってしまう。
「がんばってインナーマッスルを鍛える」
「あせって腸を改善しようとする」
「ムキになって平常心になろうとする」
これは本末転倒な取り組みなのである。
そうではなくて、もっと適当にやる。
遊びながら、愉しんでやる。
深刻にならないでやる。
ここがミソだ。
「どうせ大丈夫」なのだ。
「どうせ、うまくいっている」のだ。
だから「できてもできなくてもいい」し、達成しようがしまいが関係ないし、改善できようができまいが、活性化しようがしまいが、大したことではない。
大切なのは「遊びとして取り組む」「趣味として向き合う」「適当・適度にやる」ということだ。
それこそが「どうせ大丈夫」を強化する行動になる。
「一生懸命に、真剣にやらねば成果につながらない」
「本気を出さないと変われない」
「真面目に取り組まないと意味がない」
そういう理論もあるかもしれないが、ハラ生き道では採用しない。
「あそび」として、
「たのしみながら」
「気楽な気持ちで」
取り組んでいけばいい。
無理することはない。
どうせぼくらは「宿命」という川の流れに乗っているのだ。
かならず「ベスト」という滝つぼに落ち着く。
だから焦ることもない。
もちろん焦ってもいい。でも焦らなくてもいい。
たまには真剣、深刻になってもいい。
でも真剣・深刻じゃなくてもいい。
愛したっていい。
愛せなくてもいい。
いいとか悪いとかはないんだ。
むしろ「いま、ここ」は全部OK、なんだ。
失敗なんてない、ミスも間違いもない。
「生きる」ということは、すべてが正解だ。
だから、たのしく、のびのびと、気持ちよくやろう。
でも、たのしくできなくても、不安になっても、迷ってもいい。
けっきょく、全部OKなんだ。
自由にやっていい。
たまには囚われて不自由になってもいい。
それが「わたしだけのストーリー」だ。
その美しさを、堪能しよう。(堪能できなくてもいい)