あなたは、「おそれ」を避けているだろうか。
積極的に「おそれ」に向かい合っているだろうか。
ぼくらの「アタマ」は恐怖を嫌う。
恐怖を避けようとする。
そして安心を得ようとする。
しかしハラは「恐怖」を求めている。
刺激を求めている。
退屈を嫌っている。
「おそれ」は幻想である。
「おそれ」は遊べるファンタジーである。
「おそれ」はワクワクの原材料である。
「おそれ」をなくし、「おそれ」を避け、「おそれ」から目を背けると、同時に
人生の面白みも、意味も、究極の幸せもなくなってしまう。
「おそれ」こそが生きる意味だ。
「おそれ」こそが、人生の味わいだ。
「おそれ」こそ、最大のエンターテイメントだ。
この「視座」に立つということ。
それが「ハラから観る」ということ。
これを「はらみた」と呼ぶ。
「そうは言っても怖い…」
「恐怖にとらわれちゃう…」
「不安を動機にして行動しちゃう…」
それは「ハラに視座を置く」「ハラに目を置く」「ハラに意識を置く」ということを知らないからだ。
「ハラから観る」ためには「ハラに意識」を置けばいい。
ハラに意識を置くとは、
「ハラの筋肉(インナーマッスル)を使うこと」であり、
「ハラで呼吸すること」であり
「ハラで動作すること」だ。
すると、ハラに「意識」が置かれる。
そのとき
「おそれ」は最高のエンターテイメントになる。
「おそれ」が、人生になくてはならないスパイスになる。
「おそれ」が人生を愉しむ最大の要素になる。
それは「ハラに意識を置く」ことにより「かる」の状態になるからだ。
「身軽」で「気軽」、そして「あカルい」状態。
それはジェットコースターやお化け屋敷をキャーキャー言いながら楽しめる状態。
幻想・空想・ファンタジーと分かってうえで「怖がる」遊び。
そこに「深刻さ」「生真面目さ」「眉間にシワ」はない。
そんな状態になりたいのなら、
「ハラの筋肉<インナーマッスル>の動かし方を知り」
「ハラに意識(呼吸・視座)を置き」
「ハラで感じ、ハラから観る」
という練習をすればいい。
ハラに意識を置くことが分かると「勇気」が湧いてきて、「自信」の意味がわかり、「自己」を肯定することができる。
これは理論よりも体感するのが早い。
理解しようとしまいと、「ハラに意識が置かれ」れば、勝手に「恐怖がエンターテイメント」になってしまう。
こういうワークをすれば、あなたも「恐怖がエンターテイメント」を体感することができるででしょう。
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