昔から、「身体の中心はどこにあるのか」ということが、「本質つかみたがり屋」のぼくとしては気になって仕方がなかった。
整体やるにも、その「中心」を調整することができれば簡単だと思ったし、武術をやるにも、そこを攻撃すればきっと効くと思った。
しかし、いったい何処が身体の中心なのか、調べれば調べるほど分からなくなっていった。
というわけで、まずは色々な説を挙げてみよう。
1:丹田中心説
まぁ、これはいちばん有名だし有力かもしれない。いわゆるハラ。臍下三寸。気海丹田。
脱力したときの(肉体としての)重心がここにあると言われている。
うむ、中心である可能性は大。
2:ハート中心説
いわゆる「悟り系」なんかで、ハートを中心とする流派もある。ハート。中丹田。膻中(だんちゅう)。
3:仙骨中心説
これは治療系に割と多いかな? 仙骨・尾骨・骨盤を中心とする考え方。
4:足裏中心説
地面に接している「足裏」を「土台」として中心と観る説。
5:後頭部中心説
延髄など神経の中枢がおさまっている後頭部を中心とする説。
6:背骨中心説
「軸」となる背骨を中心とする考え方。背骨をアジャストするカイロプラクティックなどは「中心」と捉えていると言えるだろう。
7:頭蓋中心説
アレクサンダーテクニークなどは「頭(のうごき)」を中心に考えているように思える。
他にもまだあると思うけれども、とりあえず主だったものを挙げてみた。
さて、あなたは、「身体の中心」を何処と捉えているだろうか。
ぼくの暫定的結論
いろいろ考えたが、ぼくが現状の結論としては、
「身体に中心などない」
ということだ。
ほんとうに様々な身体観があり、正解はないのだろう。
中国拳法では身体を「水の入った皮袋」と捉えるし、三軸修正法では「粒のまとまり」と捉える。
ぼくとしては「アメーバ」もしくは「スライム」という言い方が、今のところはしっくりくるのだが「アメーバ」だとしたら、「中心」という存在はないのである。
あるいは「中心が瞬間瞬間に変化していく」と表現したほうが正確かもしれない。
脱中心理論
この「中心がない」という考え方は、非常に「日本風」だと思う。
一神教ではなく「八百万の神」。
松岡正剛さんが「日本は多元多中心で、藩も【くに】としての意識が強かった」と書いていたが、それも「脱中心」と言えるだろう。
一か所に「支点」を膠着させないのは、武道でも同じで、体内もしくは接触点を固めてしまうことを「居着く」と言って嫌う。
からだに「支点」となる場所を作ってしまうと、そこに負荷がかかりすぎ、たとえば「肩」ばかり支点として使うと「五十肩」になったりする。
そこで「支点」を分散させる。
「ただ腕を上げる」という動作ひとつとっても、支点がスルスルと移動していく。
そうすることで負荷を分散できるのだ。
軸も中心もない
同様に「軸」というのも実は存在しない。
「感覚」としては存在するが、しかしその「軸」を「中心」として動いてしまうと、からだは居着いてしまう。
ではどうするかというと、「軸」そのものも移動するのだ。
これは天体でいう「自転」と「公転」に似ている。
地球は自転しながら、太陽の周りをまわっている。
太陽系で見れば、太陽が支点のように思えるが、実は太陽も移動している。
この天体の動きこそが「道」の動きである。
というか、「和の身体操作」というのは、この「天体の真理」を体現したものと言えるだろう。
今後は、この観点から身体を研究していこうと思う。