最近ね、実はアタマの中がカオスなのです。
なんだか定期的にカオスにしたくなるんだね。
「和の礼儀作法」は
これまでのメソッドをかなり体系的にステップで誰でも学べるように工夫しました。
一般化もしてあるし、汎用性が高く、それほど難しくない技術でまとめてあります。
だからこそ、
「たった2日間」
で学ぶことができインストラクターになれると判断したわけです。
もちろん上達は一生モノだけどね。
これまでの身体研究のなかで
「シンプルで、かつ効果の高いもの」
だけを厳選してるから、こういうことが起こるんです。
===========
「これをしなかったら周りの人にどう思われるんだろう」
「きっとこんなふうに言われるんだ」
「嫌われてしまうんじゃないか」
「嫌われたら、いろんな噂を流されて、周りの人からも嫌われて一人になってしまうんじゃないか」
そんなふうに、人の評価ばかり氣にし、外側の世界にばかり意識がいってしまって、「自分がどうしたいか」という軸がぶれやすかった私。
そんな私がこの4月に出会ったおぜっきーさんの
「和の礼儀作法インストラクター養成講座」は、
日本のお作法の身体の使い方に特化した講座でした。
とにかく身体の軸を作っていくこと。
インナーマッスルと連動した、しなやかな身体の使い方などを体感していく講座。
それを日々実践していくと。
人のことが氣になっても、スーッとハラにおさまっていく。
そして、人の感情を拾いやすかった私が、しなやかにスルーできるようになっています。
人の評価が不思議なくらい氣にならなくなってきました。
「自分がどうしたいのか」
周りのペースに惑わされず、ゆったり自分で感じられるようになってきました。
以前に比べて、本当に内側が静かになっています。
=======================
と。
「和の礼儀作法」によって「平常心」が養われ、
「静けさ」を感じる時間が増えてくる。
その中で「表面のじぶん」ではなくて、「心の底にいるじぶん」と出会う時間が増えてくる。
それは俺も実感しているんだけど、こないだ体験したロシアン武術「システマ」の本にこんな表現がありました。
「体勢はまっすぐに。体の全ての部分が良いフォームだと恐怖感がなくなる」
と。
これもやはり
「正しい姿勢を取ると、感情がクリアになる」
ということを言っていると思います。
というわけでシンプルな法則に落とし込んだ
はひとつの完成品として気に入っています。
しかし「完璧主義」の人間というのはひとつが完成してしまうと、また別の「不完全なもの」を求めるんですね。
それが、ぼくにとっての「合気道」なんです。
コチラではマニアック技術を追求している。
合気道の技術に「完成」などというものはない。
「和の礼儀作法」は、ひとつの商品でありパッケージだからこそ「完成」している。
(進化はさせていくけどね)
けれど、合気道のほうは未完成なんです。
いつでも発展している。
そのためにどんどん情報も仕入れている。
これくらいは研究している。
https://seitai-in-ku.com/aiki/
それで情報を仕入れまくった結果、
「カオス」
になっているんです。
そして、それがどこか不安で、
どこか気持ちいい。
それは
「破壊」
の快感です。
閉じられそうになったものをこじ開ける快感。
全スクラップ。
ぼくは
「創」
という漢字が好きなんですがね、
この字は
「創造」という意味と
「キズ」
という意味を持っています。
「銃創」とか「裂創」とかで使いますね。
ああ、「絆創膏」もですね。
この「キズ」から新しいものが
「創造」
されてくる。
漢字ってのは、奥が深いですね。
それで今、合気道のほうは、イコール身体研究最先端のほうは
「カオス」
になっているんです。
「無我の境地」
がキーワードになるのは間違いないんだけどね。
「何も為(し)ない」ということ。
けれども、本当に何もしなければ問題も解決されないし、武道ならやられてしまう。
では「どうある」ことが
「真の無為」
なのか。
ここには超マニアックな技術が潜んでいます。
軸だけではない、「目の技術」とか「前腕の技術」とか「呼吸の技術」とか。
いったい、こんなマニアックなことをして何になるのか。
それは僕にも分かりません。
じぶんでも、なんでこんなに合気道に惹かれるのか分からないんです。
でもだからこそ
「真実」
だと思っていて。
だからやるだけやりたいね。
50歳まで、あと13年と17日しかないことに気が付いた。
それまでには、ある程度の研究成果を残したいと思う。
とにかく
「できた」
と思ったらそこから腐り(気去り)はじめる。
「永遠に未完成」で身体を進化させていきたい。
研究成果を体感してみたい人は、よかったら遊びに来てみてほしい。