最近の気づきとしては

 

「空の意識」

 

が何よりも大きい。

 

この独特の意識状態にすること、そして、この意識状態を深めていくこと。

ここに、ほぼ「答え」があると思ってよいのではないかと直感する。

 

しかし、あまりにも抽象的な「空の意識」という表現。

これは言語で伝えるものでもないが、いちおう言葉にしてみよう。

 

 空の意識は調和意識

 

まずは「言い換え」によって「空の意識」を立体的に捉えてもらうこととしよう。

 

ひとつには「忘我の意識」である。

 

これは武道や仏道、神道などによって呼び方が違う。

 

忘我、無我、無私、無為、無心、無住、夢想、無念無想、没我、不動智、道理、などは同じものと思ってよいだろう。

 

それから「悟り」「大悟」「解脱」「涅槃」なども同類。

 

四字熟語でいうと虚心坦懐、明鏡止水、虚無恬淡、梵我一如、心頭滅却など。

 

神道では、「中今」

キリスト教でいう「アガペー(愛)」なども同じものかもしれない。

 

このあたりは、言の葉(端)に囚われず、体感をメインで考えていきたい。

 

というわけで「空の意識」状態における体感を、なるべく言語化してみたいと思う。

 

 「空の意識」の体感。

 

「空の意識」状態における体感としてはまず「思考が止まっている感じ」が挙げられる。

 

何も考えていない。

 

アタマが真っ白。

 

そんな感じ。

 

そして、呼吸が心地いい。

 

安心感がある。

 

「いける!」「できる!」という気がする。

 

リキみがない。

 

自由な感じがする。

 

だからこそ同時に不安定感がある。

 

それは「不確定感」であり、個体がアメーバに戻ったような感じになる。

 

「何者か」を忘れる、つまり「名」を忘れるような感覚がある。

 

「空の意識」状態の体感としては、こんなところだろうか。

 

 「空の意識」で起こること

武道であれば、敵が勝手に倒れる。

 

整体であれば、受け手が勝手によくなる。

 

カウンセリングであれば、クライアントが勝手に浄化される。

 

すべてがオートマチックに、完全調和の流れに乗り、調整・修正される。

 

「すべては完璧に調和している」ことを思い出させるような出来事が起こる。

 

この状態で絵を描くと、観る人を浄化するような絵になる。

 

この状態で歌を歌うと、聴く人を浄化するような歌になる。

 

 「空の意識」状態の解説

「空の意識」においては、「空っぽのじぶん」に天地のエネルギーが通っている状態と考えることができる。

 

その天地のエネルギーを「根本の気」「根元の気」という意味で「本気」とか「根気」とか「元気」と呼ぶ。

天地のエネルギーを「天の意」とすれば「天意(あい)」とも言える。

 

そして「意」は「おもい(想念)」でもあるから、つまり「重力」とも言える。

そう「地の意」は「重力」なのだ。

 

その「天の意」と「地の意」を充分に満たしている状態が「空」だと言える。

 

 「空」という概念。

「空」という概念は、以下の図のように考えるとシンプルに捉えることができる。

陰と陽。

プラスとマイナス。

男性性と女性性。

 

1=0の世界。

 

 「空の意識」になる条件

 

では、どうしたら、この「空の意識」になれるのだろうか。

それが以下の図になる。

心地よく、呼吸がおだやかで、心身に適度な「張り」があり、ハラ感覚と軸感覚がある。

 

そのような身体状況を保っていると、次第に「空の意識」にシフトしてくる。

 

これはハラ生き道や和の礼儀作法オリジナルの考え方であり、道程だ。

 

この5つの感覚については、コチラの動画にて詳しく解説している。

 

現状、ぼくとしては、この「空の意識」こそがハラ生き道・和の礼儀作法の「極意」であると感じ、これを深めていくこと、そして伝えていくことを目下の目標にしている。

 

「空の意識」が広まることで、世界の平和が起こる。

 

これを信じて、行動していく。