誰しもが、じぶんだけの音を持っている。

 

しかし、それを美しく響かせることが出来ている人と、雑音が混ざってしまう人がいる。

 

 

じぶんだけの音を美しく響かせているのは、ピュアな人である。

 

それは「正直な人」とも言い、アホな人とも言う。

 

じぶんのことを考えず、他人の幸せばかり考えている。

 

後先考えずに行動し、いつも行き当たりばったりでいる。

 

それでいてなんとか人に支えられ、感謝のなかに生きている。

 

じぶんだけの音。

 

じぶん固有の響き。

 

それは宇宙の、神の手足としてのハタラキだ。

 

「役割」を自覚するとき、ぼくらはもっとも輝く。

 

「わたし」を忘れ「わたし」になり切ったとき、そこに天地の輝きが舞い降りる。

 

 

真に「かんがえる」とは「カムカエル」。

 

「神に帰る」ことこそ、真の思考なんだろう。

 

神にも宇宙にも音はない。

 

人間という存在があってはじめて「音」となる。

 

誰しもが、神という名の宇宙の楽器だ。

 

コントラバスがバイオリンになれぬと嘆いても仕方がない。

 

トランペットになりたかったとクラリネットが泣くだろうか。

 

いいや、誰もが「じぶんの音」を自覚するということ。

 

そこに宇宙と言う名のオーケストラが鳴り響くだろう。

 

じぶんに割り振られた楽器を一生懸命に奏でること。

 

上手だろうが下手だろうが、一生懸命に一所懸命に。

 

誰かに、届くように。

 

誰かに、届くように。

 

わたしを、わたして。