今日は「自分に戻っていくステップ」について実体験を交えて話したいと思うよ。
最近ワタクシ、またボディワークにハマっていましてね。
がんがん身体系の本を買いあさっているよ。
以前、合気道関連の本は(とくに大東流系)ほとんどと言っていいほど持っていたんだけど、「断捨離」で全部、処分しちゃったんだよね。
今では「もったいないことしたなぁ」と思うけど、あれはあれで、そういうステップだったんだよね。
ってわけで今日は、そんな「自分に戻っていくステップ」なんだけど。
ハラが据わってくると、意外に「以前にやっていたことに戻る」んだよね。
たとえば俺だと、20代のときってめっちゃ合気道の稽古してたのね。
本屋に就職してからも、家で鍛錬してたし。
で、そのときは「人間は努力すべき」と思っていたわけ。
そこからハラを学んでハラ生きにシフトする中で「人間は修業などしなくても完璧」ということを学んだの。
それでぼくが「自己否定感」からストイックに修行していたことに気が付いたんだよね。
だからそこから修行をやめてしまった。
はじめは、それが苦痛でね。「努力してない俺なんて俺じゃない」みたいな感じで、苦しかった。
けど、慣れてくると鍛錬しないことも自然になってきたし、テレビを見るようになったり、毛嫌いしていた携帯ゲームなんかもやるようになった。
けれど、それで2,3年過ごしていたら、やっぱりつまらないんだよね。
人間は成長なんてしなくてもいいんだけど、個人的には成長するのが好きなんだと分かった。
つまり、「あくまで趣味」なんだよね。
だから俺以外の人がやる必要もないし、もちろん「人間の義務」ではない。
「やりたい人がやればいいだけ」
で、俺の場合はどうもそれが「修行」みたいなんだよね。
だから「鍛錬」とかしていると愉しいわけ。
それがね、以前は「鍛えないとだめだ」と思っていたの。
スタートの設定が「ダメ」から始まっているのね。
それを「もともと完璧」をハラ落ちさせていって、「修行しなくてもいい」も腑に落ちてダラダラするのにも慣れたけど、
「何が愉しいの?好きなことは?」
って言われたら、結局「修行」が好きなんだよね。
だって、やればやるほど成果になるし、どんどん新しい発見があるし、愉しいことだらけじゃん。
しかも強制されてるわけじゃないからツライときはやめたり休憩すればいいし。
「鍛錬」なんていうから仰々しいけど、「身体を開発」することだからね。
死ぬまでに、この身体をどこまで開発できるか考えたらワクワクするよ。
これが筋肉を増やすとか太くするとかだったら俺は興味ないわけ。
もっと繊細な感性を磨いて、動かない筋肉を動くようにして、全体のバランスをとって軸を作ったら、なんかスゴイことが起きそうじゃん?
おれは、そのワクワクで生きてるんだと思ったんだよ。
だからステップとしては「修行しなきゃ」から「修行しなくてもいい」にシフトして「修行したい」にさらにシフトしたってわけ。
で、結局やってることは「最初のステップ」と同じっていうね。
でも、心持ちが全然違う。「やりたいからやってるだけ」だからね。この世界はまさにハラ生きだなと思うよ。