「なりたい自分」と
「ありたい自分」って微妙に違うんですよね。
たとえば
「なりたい自分」というと
「年収1000万円で、車はベンツで、一軒家で週休4日」
みたいな感じですね。
対して「ありたい自分」は
「ブレない軸があって、おだやかで、柔軟な対応ができる」
みたいな感じです。
それでこれ、コツとしては
「ありたい自分像」
をまず明確にしていくのがいいんですね。
「なりたい自分像」から考えていくと、どうしても軸からブレがちです。
なぜなら
「年収1000万円で、ベンツ、一軒家で週休4日」
だけど
「家族とは不仲、居場所がなく寂しい、ビジネスのつながりも利害関係のあるものばかり、病気がちでイライラしている」
という状態になってしまうこともあるからです。
しかし、ここが分からないと
「年収1000万円で、ベンツ、一軒家で週休4日」
にさえなれば、
「幸せで、スゴイと尊敬され、自尊心が満たされる」
なんて考えてしまうのです。
しかし実際になってみると
「成金と呼ばれ人は離れていき、お金目当ての人ばかり集まってくる」
なんてこともあるわけです。
それは
「ありたい姿を設定していなかった」
ということが原因なんですね。
だからまずは
「ありたい自分像」
というものを明確にしていくとよいと思います。
そのためには
「モデル」
を立てるのが一つですね。
たとえば
ブッダのように生きたいのか
織田信長のように生きたいのか
大仁田厚のように生きたいのか
小泉純一郎のように生きたいのか
浜崎あゆみなのか安室なのか
なんでも誰でもいいんです。
孫悟空でもベジータでもいい。
「あんな生き方いいなぁ」と憧れたり好きだったりする人の「資質」を観る。
「観れるもの」は
じぶんの中にあるので、
「そうあれる」し、
かつ
「だいたい、そうなってる」ケースが多いです。
それでこうやって「モデル」をイメージしてみると、その人の「資質」「あり方」に憧れることはあっても、「持っているもの」とか「手に入れたもの」とかってそれほど憧れないんですよね。
信長がどんな刀を持っていようが、どんな食事をしていようが、どんな馬に乗っていようが、あまり気にしないですよね。
つまり僕らは、何を手に入れても、あまり憧れられないということです。
っていうか、誰も観ていない。
それよりも、
「その人がその人らしく生きる姿」
に人は惹かれるのだと思います。
誰にでも苦しい時期はあります。
歌手なら歌が売れるとき売れないときがある
芸人だって仕事があるときないとき波がある。
起業家だってイケイケのときも、落ち目のときもある。
しかし、その波の向こうにある「その人らしさ」というか「生き様」というか、
「あり方」
に惹かれるんですよね。
「あー、あの人失敗したから嫌い」
「いま上手くいってないからファンやめる」
「お金がなさそうだから、応援したくない」
というのはファンじゃないですよね。
「失敗したときほど支えたい」
「うまくいってないときほど熱をあげちゃう」
「お金がなさそうだから、応援したくなる」
それが、真のファンです。
そして、僕らにもそういう人がいるということです。
ぼくらの「持っているもの」とか
「手に入れたもの」とか「武器とか鎧」じゃなく
ぼくらの「魂」「あり方」「存在」を
大好きな人が。
そして、僕らが、僕ららしくないことを悲しく思う人がいるのです。
だからこそ、そんな人たちのために
ぼくらは、ぼくららしく居る必要がある。
「俺なんて、私なんて」
と下を向いているあなたを観るのがつらい人がいる。
「もっと、そのままでいいよ」
と思ってくれる人がいる。
そこにフォーカスできたら、生きることはどれだけ楽になることでしょう。
そのためには
「なりたい自分」ではなく
「ありたい自分ってどんなだろう?」
と自問する必要が出てきます。
意見をはっきり言える人?
逆に、寡黙でクールな人?
2枚目?3枚目?
メンズライクでカッコいい女子?
男性につくす健気女子?
それともお姫様?
何を選ぶも、自由です。
ただ、じぶんが気持ちよければいい。
その「気持ちよさ」というのが分からないと、
人から与えられた役割を演じて苦しくなってしまう。
それは「からだの軸」がブレているということなのです。
だからこそ「ありたい自分像を問う」というのがもっとも大切なのです。
「どうありたいんですか?」
聴かれたら、なんと答えますか?