最近は「手」の研究にいそしんでいるんですがね、
「手」
の奥深さはヤバいね。
有名な
「カパンディ 関節の生理学」
でも手首から先だけで120Pも割いているからね。
もう細かすぎて、ほんとヤバい。
とにかく複雑に動くのよね。
それで合気道でも「手」を使うんだよ。
「手先」の動きで体幹をつかまえる。
作戦のことを「手の内」って言うけれど、そこに「秘密」があるんだね。
だからこそ「手の内を明かさない」なんていう言葉があるわけです。
実際やってみて思うけど、ビックリするくらいの効果がある。
「手の内」を体験してみたい人は
「ハラ生き合気道」
に遊びに来てね♪
https://03auto.biz/clk/archives/eiyzuq.html
凡そすべての技芸というのは
「手」
が絡んでくる。
だから「技」なんだよ。
「手」偏に「支(えだ)」。
四「肢」を目的に応じて発達させていくということ。
それが「技」
「手」の発達というのが人間としての進化に関わってくるわけです。
「手」には神経がめっちゃあるからね。
手を発達させることで、脳が活性化してくるんだと思う。
そうして考えてみると
「手相」
というのもリアルな学問として捉えることができるのではないかと思えてくる。
一般的には「手相」は「占い」に属していて、
「当たるの~?」
みたいに思われがち。
でも、たとえば整体でも
「指の関節が太い人は頑張り屋さん」
とかいう経験則はある。
精神を病みやすい人は、指に力がない感じがするしね。
「手の動かし方」によって
「手のシワ=手相」ができてくるから、
性格なんかを読み取れるとしても不思議じゃない。
「運命」までは分かるか知らないけどね。
その意味で、「手の動かし方」によって
「手放す」
ということもできてくる。
実は「手放す」ということは「捨てる」ということじゃなく
「包み込む」
っていうことなんです。
それは「自由にさせる」っていう意味でもあり、
逆にこちらのコントロール下に置くことでもあるんだ。
これは武道の極意でもあるんだけどね。
「こうであれ!」という強い気持ちを捨てて
「こうなったらいい。自由だけど、こっちがいいな」
と
「こだわらずに、意思を表明する」
これが、いちばん意図が通ずる秘訣だと思うんだけど、
「手」
をちゃんと使うことが出来ると、その感覚を「体感」できるんです。
「手放す」
ってこんな感じなんだーーということを
「体で感じる」
ことができる。
あとはその感覚を日常に応用していくだけだね。
とかく作為の人間の世界にどっぷりの人は
「うまくいく」
ことを求めてしまう。
なんとかして「うまくやろう」という作為を働かせることで、
本来的に備わっている
「ハラのハタラキ」
を捻じ曲げてしまう。
それが「うまくいかない」原因になっているんだね。
「うまくやろう」としているときっていうのは
「遠く」
を見すぎているんだね。
「いま、ここ」にないものを観ようとしている。
名声とか地位とかそういうことにフォーカスしている。
そう、「有名」「名声」という
「名」
にとらわれると、苦しくなるんだ。
「名」さえなくなれば
「うまくいくもクソもない」
という真実が見えてくる。
「じぶんが心の奥で求めているもの」が見えてくる。
そして、そこに辿り着くキーワードが
「手放す」
ということです。
しかし「手放す」というスローガンでは人は変われない。
「手放す」ということを
「カラダで実感」
しないかぎりは変わっていかない。
怖くてゾクゾクするけれど、ぜんぶを明け渡し、カラダの壁が崩壊して魂が解放される感じ。
ホント、それを味わってもらいたいよ。
俺はその気持ちよさのためだけに合気道やハラ生き道をやっているんだと思う。
ほんと、「キモチイイ」よ。