2005年の4月から、岐阜県土岐市で一人暮らしをはじめた。
はじめの3か月くらいは、とにかく気合でがんばっていた。
「絶対に体調は崩せないぞ!」と、つねに気を這っていた。
体調が乱れないように、早寝早起き。
規則正しい生活や栄養バランスに気をかけていた。
ごくごく簡単なものだが、自炊もしていた。
なぜだか分からないが、一度でも体調を崩してヒヨってしまったら、戻れない、次は会社にいけなくなると思っていた。
それくらい「社会に出る」ということが、ぼくにとってプレッシャーであった。
そのときぼくの心を支えていたのは、ワーカホリックだった祖父や親父の存在だった。
めちゃくちゃ仕事の人生だった祖父と親父。
当時は二人とも生きていて、もし会社に行けなくなってしまったら、2人に顔向けできない。
そんな思いがあり、とにかく体調だけは崩せないと頑なに信じていた。
からだに負担のかかる生活、無理なこと、無茶なことはしないでおこうと思っていた。
いま思うと、どれだけ小さくまとまっていたんだと笑えるが、当時は真剣だったし、深刻でもあった。
しかし、徐々に一人暮らしになれ、仕事がシフト制だったこともあって、生活が乱れてくると、体調のおかしくなる日が出てきた。
「仕事は絶対に休まない」
と決めていたので、仕事中は根性で乗り切ることができたが、夜になり、一人で部屋にいると、自律神経が乱れるのを感じることがあった。
感覚的には「上気する」という表現がしっくりくるだろう。
のぼせる。顔が熱い感じがする。手足が冷える。呼吸が浅くなる。
いま思えば典型的な自律神経の症状なのだが、当時は知識がないので、恐ろしくて仕方なかった。
思い返せば、自律神経の乱れるような「生活」「食」「性格」をしていた。
上記のようにクソマジメで深刻で、無駄に何かを背負う性格。
カフェインや白砂糖を制限しない生活(当時はメロンパンと缶コーヒーという昼ご飯だったりした。)
シフト制で、規則性のない生活。
くわえて、もともと内臓系がそれほど強くないとくれば、これは自律神経が乱れるに決まっている。
決まっているけれども、当時のぼくには分からなかった。
知識がないとは恐ろしいものである。
そうこうするうちに、体調にたいする恐怖がどんどん大きくなってきた。
しかし不思議なもので、体調にたいする不安が出てきたときには、大好きだった
「合気道などの、武術のDVD」
を観ると、自然と不安な気持ちが収まっていった。
いま思えば大好きな「合気道」のことを考えることでインナーマッスルが動き、自律神経を回復させたのだろう。
しかし同時に、それが根本的な解決でないことも分かっていた。
けれども、「どうしたらいいか」が全く分からず、潜在的な不安は大きくなるばかりであった。