「わたし、イッたことないよ」
2年前のある日、ぼくは衝撃の告白を受けて、口の端をヒクヒクさせながら固まっていた。
「う、ウソだろ?」
「ううん、ホントだよ。」
「いやいや、全然いい感じだったじゃん」
「あれ、演技。」
・・・・・・演技。
・・・・・・・・・・・演技。
えんぎーーーーーーーーーー!!!!!!
そのときの衝撃は忘れない。
今まで俺のしてきたセックスはなんだったんだ。
一緒に住み始めて、8年目だぜ?
いったい何回イタしたっていうんだ?!
それが…それが…ぜんぶ演技!!!!!!
ぼく(と愚息)は、二度と立ち直れないんじゃないかというくらい萎んでいた。
「え? ちょ・・・ま、演技て…!!!」
女優?
え?なにオマエ女優なの?
主演女優賞でも受賞してんの?
ってか、よく”あんな反応” 演技できるよな…!
つーか、なんで演技してんだよおおおおおお!!
「言ったら悪いかなと思って…」
お、
思いやりーーーーーーーー!!!!
裏目に出とるしーーーーーーー!!!!
ウソやーん。
おれ、テクニシャンかと思てたのに…
だってアダム徳永の本3冊以上読んだし。
アダムタッチもやったし。
結構いい感じで愛でてなかったーーーー?
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そう、2015年2月11日、忘れもしないあの日、須佐厳さんから
「女性の9割はオーガズムに達したことがない」
という話を聞いたのです。
ぼくは
「えー、そんな比率高いかー?」
なんて内心思っていました。
「ちゃんと、ウチの嫁さんはイってるし。みんな下手くそなんやなぁw」と。
それこそ「ウチの子が、いじめなんてするはずありません」みたいな感じで、まったく当事者意識がなかったのです。
ただ、ほーんのちょっぴり気になったので、家に帰ってから、こっそり聞いてみたのです。
「あの…えっと、お前は…イってるよな?」と。
そしたら、妻の回答が冒頭のフレーズだったというわけ。
それで、ぼくはたいそうショックを受けたわけですが、もともと研究家気質なところがあるため、
「どうしたらオーガズムに達するのか」
「どうしたら、陰陽のエネルギーをスムーズに交換できるのか」
「本質的なセックスの喜びは、どんなものなのか」
という疑問がムクムクと湧いてきて、ぼくの知的好奇心をくすぐったのです。
それからもちろん妻に対しての「申し訳ない」という気持ち。
「ふたりで未到の世界に行ってみたい」
という思いがあり、研究をはじめることになりました。
とはいえ、はじめは”リアル手探り”状態。
「ここはどう?」
「こんな感じ?」
「ここをこうしたらどう?」
と聞きながらの実践。
しかし、言語でコミュニケーションしたい僕に対して、妻は非言語の感覚派。
それに説明しているうちに気持ちが萎えたりして、うまくいかないのです。
そこでぼくもイライラしてくる。
「だから、どこ触れば気持ちいいんだよ?」
「そんな言い方されたら、どこも気持ちよくないよ」
「えー、でもこないだ、ここが気持ちいいって言ってたじゃん?」
「それは、こないだの話!今日は気分が違うの」
「気分なんて知らんがな!もう、分からんて!」
「そこは、繊細に感じ取ってよ!」
「オトコは言わないと分からんて」
「オンナは察してほしいの!」
かみ合わぬ会話。
すれ違い。
夜になり、事をはじめたものの、途中で険悪な雰囲気になり、そのまま「解散」して寝てしまうこと度々。
もともとマニュアル思考のぼくは「やり方」を教わらないと出来ないのです。
習ったやり方を何度も繰り返し、そこから「個性」を出していく。
だから武道的な習得の仕方は好きなのです。
けれども、セックスというのは、そういうことを飛び越えた、アドリブな「生(なま)」を感じきることによって生まれる。
本能を解放する。
ことばじゃないものでコミュニケーションする。
そういうことが、「アダムタッチを使えばいいだろう」という発想だったぼくには、さっぱり分からなかったのです。
けれども、面白いものですね、徐々に、ほんとうに徐々にだけれども、なんとなく感覚でつかめてくるものがあった。
それは「もともと持っているもの」だからなんだろう。
サルだって、誰にも教わらずにセックスをする。
ぼくらにできないわけはないんだ。
そして、妻もだんだんとぼくを誘導するのが上手くなり、自分の「してほしいこと」をちゃんと言葉で伝えてくれるようになった。
そうやってコミュニケーションが取れるようになってからも、なぜかぼくらは、目を合わすことが少なかった。
それはどちらかと言えば、妻が目を合わすことを避けていると、とぼくは感じていた。
しかし、ぼくはそこに「愛されることを受け入れられない」という潜在的なものを、それこそ直感的に感じた。
ここは相手が表面的に嫌がろうとも、しっかりを目を合わせようと。
「しっかりこっち見ろ。目をそらすな。俺を見てろ」
そうしたら、妻は恥ずかしそうな、けれどもしっかりとした眼差しで、ぼくのほうを見た。
その瞳がいじらしく、ぼくはとても愛おしさを感じた。
そして、ぼくの口から自然と
「愛してるよ」
ということばがこぼれた。
すると妻は、一瞬グッとこらえたあとに大粒の涙を流した。
「あっ、これは愛されることを受け入れたんだ」
と感じた瞬間、ぼくの目からも涙が流れていた。
もうそのときは誰が誰を愛しているのか分からなかった。
自分は目の前の妻を愛している。
けれども、妻の中にいる自分を愛しているのだとも感じた。
「そうか、こういう世界があるのか…」
明らかに妻と新しい世界に足を突っ込んだ気がした。
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