「じぶんの顔が嫌い」っていう人は多いんだよね。

 

聞くところによるとモデルさんでも

 

「じぶんの顔が嫌い」

 

っていう人は多いんだって。

 

で、どうもこの現象は割とよくあることのようなので、一度、考証してみたいと思う。

 

 じぶんの顔は好き?

 

ぼくは結構、じぶんの顔は好きだ。

 

いわゆるイケメン系統の顔じゃないけど、一重のキリっとした目とかは好きで、全体的にも気に入っている。

そんで今思うと

 

「俺の顔は醜い!」

 

って思ったことは、たぶんない。

 

めっちゃ大好きじゃなくとも、「嫌いだ、こんな顔!」とは思ったことないんだよね。

 

ただ、俺の場合は「声としゃべり方が嫌い」だったんだよね。

 

でも今は好きだから、その変化を見ながら「じぶんの顔が嫌い」な人が「じぶんの顔を好き」になっていくプロセスを考えてみたいと思う。

 

 じぶんの声が嫌いだったとき

 

小さいころからビデオカメラに映るじぶんは好きじゃなかった。

 

そうだ、思い出したが「じぶんの仕草」が嫌いだった。

 

動き方、話し方…

 

そうだ、「声」じゃなくて、「じぶんの立ち居振る舞い」を「キモイ!」と感じていた。

 

 

それが嫌じゃなくなったのは2017年くらいからかなー

 

2016年にね「センターマッスル活性化DVD」っていうのを発売したのね。

 

これは、ある方に撮影も編集もお願いしたんだけどね、完成版を見たときに思ったのは

 

「うわ~、これはキツイな」

 

って思ったんだよね。

 

まずは滑舌が悪すぎるし、動きや仕草がキモイし、話の順番なんかも支離滅裂だし…

 

 

で、さっき久しぶりにDVDを見てみたら

 

別にキモくない!www

 

 

これって面白い現象だよね。

 

別に滑舌もそんなに悪くなくて普通だし、仕草もそんなに変じゃない。

(と、見えるようになった。)

 

 

俺ね、撮影してくれた人に、当時、聞いたんだよ。

 

DVD見て

 

「うわー、滑舌めっちゃ悪いですね。それに話も分かりにくいし…、すごい変じゃないですか?」って。

 

そうしたら、

 

「そうですか?とくに変じゃないですけど…」

 

って言ってもらえたのね。

 

でも、「またまたぁ、俺を傷つけないように言ってるな~」なんて思ってたわけ。

もう全然、受け取ってないwwww

 

 

それが今じゃ、じぶんの動画を何度も見直すくらい「じぶん好き」に…(笑)

 

 

 なぜ自分の振る舞いを「キモイ」と思わなくなったのか

 

これは、「脳内のイメージと実際のビジュアルのズレ」が解消されてきたことがあると思う。

 

だいたい僕らのアタマってのは、じぶんを過大評価してるんだよね。

 

「もっとできるはず」

「もっと可愛いはず」

「もっとスゴイはず」

と。

それが「現実」を客観的に見せられているうちに、その「ズレ」が解消してくる。

 

「ああ、俺ってこんなもんか」と。

 

イケメン風に振舞った仕草はダサくて、

カッコつけて話したつもりがキモくて

つくった表情はダダ滑りで。

 

「ああ、これが俺なのね」

 

と、そうやって「あきらめていく」。

 

あきらめて等身大のじぶんを見つめたら、そりゃヘコむことは減ってくるよね。

 

「脳内の理想の俺」と比べて「キモイ」」と思うわけだから

比較対象がなくなって「そのまんま観る」ことができれば、

カッコイイもキモイもないわけじゃない?

 

つまり「幻想の自分(オレ・ファンタジー)」にすがらなくなった。

 

「もっとカッコイイはずなのに!」という中2病から抜け出した。

 

そしたら「キモイ」と思わなくなったんだよね。

 

 ボディの観点で考えてみると…

 

昨日も東京でボディワークをやったんだけどね、たとえば「指先の皮膚」ひとつとっても、それは「からだ全体」の一部なんだよね。

 

けっして切り離せない。

 

「やさしく触れる」には手先だけじゃなくて、股関節や足首までもがゆるまないと本質的には「やさしく触れる」ことはできない。

 

表面だけの話じゃないんだよ。

 

だから実は「じぶんのが嫌い」なんじゃなくて「じぶんの行動が嫌い」そして「じぶんのあり方が嫌い」な可能性は高い。

 

たとえば「笑顔が嫌い」なんじゃなくて「誰にでも愛想笑いしちゃう自分が嫌い」なのかもしれない。

 

 ハラの観点から「じぶんの顔が嫌い」を考えてみる

 

2015年当時のぼくは、じぶんに対して「ニセモノ感」をすごく抱えていた。

 

「色々やってる。それなりに稼げている。セミナーに人も来てる。

でもこれってテクニックでやってるだけで、俺ってホントはニセモノなんだよな」

 

ってスゴイ感じてた。

 

で、その理由ってのは「アタマで判断して行動していたから」なの。

 

「うまくいくように」

「失敗しないように」

「不安のないように」

 

そういう選択をしていくと、人って自信をなくしていくんだよね。

 

つまり勇気を捨ててしまうと、人はどんどん自信をなくしていく。

 

アタマのやり方でどれだけ成果があがっても、心の中には違和感がものすごく渦巻いてる。

 

だから俺はずっと「ニセモノ感」に悩まされていたんだ。

 

そこから徐々に、ほんとうに亀の歩みだけれどもハラで選択することを地道にやってきて、そしたらいつの間にか「自分に対するニセモノ感」はなくなっていたよね。

 

 

具体的には「計画」をどんどん減らして直感的にやるようになった。

 

「ビジネス的に今やらなきゃダメ!」

 

という観点をなるべく排除して、ハラの反応するタイミングで、ハラの反応するサービスを提供するようになっていった。

 

 

すると計画を手放したぶんだけ売り上げは落ちた。

 

いろいろピンチにも陥ったけれども、そこはグッとこらえて売り上げにフォーカスした行動はしなかった。

 

仕事したくて仕方ないときでも、ぐっと耐えてのんびりしたり妻とデートしたりしていた。

 

そうやって徐々にハラを(結果的に)鍛えつつ、アタマやエゴの選択を採用しなかった結果、だんだんと自分の選択や行動に自信が持てるようになってきた。

 

「じぶんに対するニセモノ感」もなくなった。

 

そしておそらくそれに比例して、じぶんの仕草や話し方、立ち居振る舞いに対して「キモイ」と思わなくなった。

 

 「じぶんの顔を好きになる」まとめ

 

やはりけっきょくのところ「ハラで生きる」に帰結してしまう。

 

ボディの観点で言えば「ハラ」に力がこもれば、表面の力は抜けるので、顔のムダな緊張が取れてステキな表情になるよね。

 

そしてそれ以上に「あり方」が変容してくる。

 

じぶんの資質を活かすようになってくる。

 

そのためには「勇気」必要で。

 

ぼくらは勇気をひとつ振り絞るたびに、じぶん自身をすこしずつ好きになっていく。

 

その過程のなかで「じぶんの顔を好きになる」があると思うんだよね。

 

ちなみに「大好き」にならずとも、「悪くないな」「美人じゃないけど愛おしいな」と思えれば100点満点だ。

(じぶんの顔が大好きってのも逆にブレている可能性大。)

 

だから、まとめとしては「じぶんの顔が嫌い」から「じぶんの顔が好き」にシフトしていくためには

 

「行動」

 

にフォーカスするといいと思う。

 

そしてハラが選んだ勇気を必要とする行動を取っていく。

 

その先に「自信」があり、「自信」がある状態で鏡を見てみると、そこに誇らしげで可愛らしい顔があるはずだ。

 

ってなわけで、焦らずたゆまず、ともにハラの声を聴いていきやしょう♪

 

ハラを活性化したい人はこれを読んでみてね(^O^)